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Cross my mind \ 1999 6.7 to 6.21 |
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| 6. 21 | 人は鏡 新聞の「若い世代の声」の欄に、「人と話す事が苦手で、何を話して良いのか話題が見つからず、高校に入っても友達ができない」という悩みがのっていた。また「自分が嫌われていると思ったら、その理由を聞く勇気も必要だよ」とか、「自分の言いたい事も我慢して、皆に合わせるなんて、一度しかない人生もったいないよ。」そんな元気な声もあった。みんな中学生、高校生の年代の子ども達。人間関係で悩むことが一番多く、だから、それが自分を一番成長させてくれるんだなぁ。 本当は、心を開いて付き合える友達を求めているのに、傷つくのが恐くてうわべだけのつきあいをする。そしてそんな関係はどこか淋しい。恐がらないで、自分を出してみようよ。どこかに必ず自分をまるごと受け入れてくれる人がいるから。 でも、自分を素直に出すと言うのは、好き勝手にわがまま放題するということじゃない。自分を相手に押し付けることでもない。自分の思いを相手に伝える。そして相手の思いもまず認める・・・。 心ない言葉や、無関心な態度がいかに 人を傷つけるかをよく知った上で、自分の思いをできるだけ忠実に表す言葉を使いたいね。「言葉は人を表す」そして、人はそれぞれ考え方が違うのが当たり前で、意見が違うからと言って、自分の人格が否定されたり、嫌われることにはならないこと。意見が違ったとしても、それは お互いを理解し合うための第一歩になる・・・。そんなことを知るのも、大事だと思う。誤解や思い違い、すれ違い・・・そんなこともあるけれど、お互いに理解し合いたいという思いがあれば、いつかわかりあえると信じたい。そんな中で、自分を知り、成長していけるのではないかなぁと思う。 そしてね、人の言葉や行為によって、あまり傷つかない心でいてほしい。人に言われた言葉で 学ぶべきことがあれば学び、トゲある言葉があった時には、心に刺さないで こだわらないでトゲは抜いて水に流しちゃおう。 相手が心を閉ざしていると感じる時は 自分も閉ざしてる時なんだな。 「人は自分を写す鏡」だから・・・。 |
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| 6. 20 | 日記 小さい頃「日記をつけなさい」と、よく言われたけれど どうにも続かなかった。お正月に新しい日記帳をおろして 気合を入れて書き初めても、すぐにとぎれぎれになって、やがて真っ白。毎日かかさず日記を書いている人を見ると 本当に尊敬する。継続は力。素晴らしい財産だとも思う。 育児日記のようなものは別にして、皆は日記に どんなことを書いているんだろう。 こどもたちが思春期に足を踏み入れた頃、10年日記を見つけて使いはじめたけれど、やっぱりダメだった。最初、1年前、2年前の様子がわかるのは、懐かしくてとても良いなぁと思った。丁度 こどものことや 仕事その他で、いろいろな問題も起きた時期で、悲しい、辛い思いを綴っていた日々もある。ある日、辛かった時のことを読み返していると、気持ちが沈んでいくことに気づいた。あの時大変だったなぁ、今は幸せだなぁという思いもあるけれど、忘れてしまった方が良いようなことを、日記をひらく度に再確認をしてしまうようで 少し考えてしまった。うれしいことばかりを書くようにもしてみたけれど、やっぱり消滅。 先日、70歳を越えた方と話をしていた時、「日記は後に残るから書かないの」とおっしゃった。ご主人が亡くなって 残された日記を読んだ時、初めて知るご主人の思いに せつない思いをされたそうだ。いまさら知ってもどうすることもできないし・・・と。そんなこともあるんだなぁと思った。 自分が頑張っている時のことほど 残しておきたい気もする。それは誰かに知ってほしいという気持ちの表れなんだろうか。後でそのことを振り返ると 幸せな気持ちになれるんだろうか。 自分や、残された人を幸せにしてくれる・・・そんな「日記」ならいいなぁ。 |
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| 6. 19 | プライド 電車の中で、隣り合わせた二人の中年女性の話声が聞こえてきた。校長先生をされていたご主人のお父さんが、とてもプライドが高く、「誰にものを言っている。俺は校長だったんだ」というのが、口ぐせで誰の意見にも耳をかたむけなかった。思えば可哀相な人だった・・・と。 「プライドが高い」というのは、あまり良い意味には使われないなぁとぼんやり考えていた。 プライドそのものが悪いと決めつけるつもりはない。しかし、時として このプライドが人の目をくもらせ、心を固くし、人間としての成長を妨げる悪しき要素を持っているのも確かだと思う。 親だから、先生だから、上司だから、社会的地位があるから、兄だから、姉だから、先輩だから・・・。いろいろなことを理由に、プライドだけが高くなっていくと、非常にやっかいだ。 自分が間違ったかなと思っても、素直に謝れなかったり、より良い方法だとわかっていながら、賛成できなかったり、聞けば教えてもらえる事が分かっていながら、素直に教えを乞うことができなかったり・・・。自分で「プライドが邪魔をしてるなぁ」と思う時は、本当に邪魔な時。 「我以外全て師」という言葉もある。おかしなプライドは ポーンと投げ捨てると、心がとても軽くなって、今まで見えなかったものも 見えるようになるし・・・。とっても幸せなんだけどなぁ。 |
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| 6. 18 | 知識は力 知識があるということは、毎日の生活の中で やはり大きな力を発揮すると思う。また、幅広い知識を得る大切さも実感している。 最近は、悪質商法も多く、その被害に合う人はかなりの数に上る。その手口の中には、「何故それで騙されるのだろう。そのセールストークの嘘に気づかなかったのか」と思うことも多い。特に成人して間もない人達が狙われるのは、彼らに常識的な知識が欠けているからではないだろうか。 若い人だけでなく、年齢が高くなった人でも被害にあうことはある。 保証を例にとってみても、「連帯保証人」というのは、借主と全く同じ責任を負う。それを知らないで、保証人になり、その債務を引き受けて、自分達の生活も崩壊してしまった人達を見ると本当に気の毒だと思う。「人を信じた私が馬鹿だった」と彼らは言う。しかし、厳しいようだけれど、それがどういうものかを、しっかりと知らなかった本人にも、少しは責任があるのではないかと思う。 知識があれば人の意見に惑わされる事なく、自分で判断ができる。これはとても大切な事ではないだろうか。 何かのトラブルに見まわれた時でも、状況を正確に判断し、それに対応できる知識があれば、最善の方法でトラブルを解消できるだろうし、その経験は 自分をさらに鍛えてくれる。 「知識は力」自分の専門分野はもちろん、多岐にわたる分野の知識は、素晴らしい財産であると同時に、幸せな人生をおくるために必要なものだと思う。 |
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| 6. 17 | 礼・智・信・義・勇 10年程前、「人生の王道を歩んでいくために大切なのは、礼・智・信・義・勇だ」という言葉に出会い、何故だか とってもうれしくなって、この言葉を呪文のように繰り返した。若い時に人から言われたら、反発したかもしれないなぁと思いながら、そんな自分が不思議だった。 「礼」が最初にくるのは、人としてこれが一番大切なことなのだろうなぁと思う。礼儀を知らなかったために、素晴らしい出会いのチャンスをつぶしてしまうことがある。礼儀を知らないと思われはしないかと心配するあまり、緊張して 言いたい事も言えないのは、とても残念だ。 この場合の「礼」とは作法ではなく、相手を敬う心ではないかと思う。相手の年齢や、社会的地位、貧富などに関係なく、すべての人に対して、その魂に対して 敬う心があれば、自然にその態度や言葉にそれが現れ、「失礼」ということにはならないのではないだろうか。たとえ冗談を言い合う仲であっても、礼の心がある人とない人では、その言葉等に違いが出てくる。 「慇懃無礼」という言葉があるけれど、これは相手に対する礼の心もないのに、バカ丁寧な態度をすることで、とても失礼だ。 常に「礼の心」を忘れないでいれば、どんな人に対しても、臆することなく自分を出すことができるし、結果、素晴らしい出会いにも恵まれて、自分を最大に生かした人生がおくれるのではないだろうか。 はじめに「礼」ありき・・・。出会う人達すべてに対して、敬う心を忘れないでいたい。 |
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| 6. 16 | 一国民として・・・ 東京で相続税が払えなくて差し押さえをされた人達の話をテレビで聞いていた。私はまだ両親も健在で、相続というものを経験した事がないし、仮にしたとしてもそんなベラボウな相続税を請求されることもないから、縁のない話ではあるけれど・・・。 テレビに出ていた人の状況は 悲惨だった。たった20坪の(ごめんなさい!)店舗共有住宅を父親から相続した時の相続税は、ナント約1億2千万!。商売を続けたいために 延納を選択して、年間600万近くを20年間支払うことにしたそうだ。しかし、不景気の為に売上が落ち、支払いが出来なくなった。売却しようにも、地価は下がり、仮に売れたとしても何千万もの未納分ができるという。テレビに映っていた店は、机も昔ながらの古いもので 決して大きなキレイなお店ではなかったし、贅沢な生活をしているとは とても思えなかった。 一体、国は何を考えているのだろう。いくら土地の値段が上がったといっても、売らなければ支払えないような相続税ってどういうことなんだろう。少なくとも、住居や 生活費を得るための店舗については もう少し考慮できないものだろうか。都?国?の未納の相続税が3000億という話だったけれど、税制そのものを考え直す時がきているのではないか。そして、やっとの思いで皆が支払った税金が、国会でお昼寝をしている議員さんの給料にもなるのかと思うと、なんともわりきれない。 こんな不条理な事、世の中には他にもたくさんあるんだろうなぁ。私達にできることって、何があるんだろう。 |
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| 6. 15 | 少しお休み 小学校に行っている頃、できないことがあるというのがすごく嫌だった。跳び箱が恐くて飛べなかった時は、家の中でオルガンの椅子を使って練習し、一番高い段まで飛べるようにした。わからないというのが、どうにも気持ちが悪くて、かといって全ての事が理解できるほど 頭がいいわけでもなく、わからないことは、これは自分には理解できないことなんだと あきらめて、以後考えないようにすることで、心の中でバランスをとっていたようだ。 「できない」というマイナスの部分ばかりを見つめてた。でも、高校の時にふと気がついた。小学校や中学校でどうしてもわからなかったことが、いつのまにか理解できていること。できなかったことが、出来るようになっていることに。 「そっかー、できない時にムキになってしなくても、時期がこれば自然とできることもあるんだ。」 そう思ったら、随分気が楽になった。子育てをしている時にも、この思いが自分の気持ちにゆとりを持たせてくれた。その子にとっての時期がある。こどもの成長は 千差万別で、同じ歳だから成長の度合いが同じということは ありえない。それなのに、つい他の子と比較したりすると 親子共々辛い思いをする事になる。こどもだけでなく、人にはそれぞれに必要な時間がある。 何かをやり遂げる、あきらめずに挑戦し続けるということも大切だけれど、どうしても その時にできないことならば、少し、目先を変えて、他のことに打ちこむのも悪くないなぁと思う。人の経験ってどこかでつながっているから、他の面で力をつければ、以前難問だと思っていたことを 楽々クリアできる力がついていることもある。 それともうひとつ、無理をしないで「少しお休みダー」と自分を解放してやるのもいいかなと思う。 |
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| 6. 14 | 一期一会 「高橋真梨子・フレンズまつり」を WOWOWで見た。2時間にわたる ソロ20周年記念のアニバーサリーライブ。好きな歌を 飾ることなく心をこめて歌い続けてきた彼女。高橋ワールドを完成させつつあるようで、聴いていてとても気持ちがいい。私は彼女の歌が大好きだ。 15歳の時に父親をなくした彼女は、母親もこのライブを楽しみにしながら 見ることなくこの世を去ってしまったと語った。私はこの歳まで 両親がいてくれることに感謝すると共に、「死」について少し考えていた。 私達は 生まれると同時に死に向かって歩き始めていると言っても 過言ではない。当たり前のように「死」は訪れるのに、そのことについて考えたり、悩んだり、口に出したりすると「変な奴」のように言われるのは何故だろう。 上智大学の アルフォンス・デーケン教授は「死生学」を教えておられる。「いかに死ぬかを学ぶことは、いかに生きるかを学ぶことだ」と。いつ訪れるかわからない死を思った時、「一期一会」という言葉が 実感できた。以後、人と接する時には 常に、その時の自分の100パーセントの思いでお付き合いをしたいと思っている。それはメールや 電話のように直接対面していない場合も同じだ。 朝、夫やこどもを送り出す時にも、ケンカをしていたり 嫌な思いをもったままということはまずない。いつか謝ろうとか、次の機会に気持ちを伝えようなどという考えもなくなった。 『一期一会』二度と会う事ができなくても後悔しない、そんな思いを大切にしてゆきたい。 |
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| 6. 13 | 不惑?惑惑! 子供の頃、30歳の人はものすごいオバサンで、40歳の人は楽しい事も何もない可哀相な人だと思ってた。 その40歳を2年も過ぎて、立派に中年と言われる年齢になったけれど、いいもんだなぁと思う。私を育て、悩ませてくれたこどもたちとの関係も 変わってきて、大人としての付き合いができるようになりつつある。(これは結婚が早かったから)楽しみも増えた。 若い時には気づかなかった多くの事にも、気づけるようになった。何よりも 「優しいこと・人の役に立ちたいという思いは素晴らしいこと」といった、人として大切な当たり前の事を、口に出せるようになったことが嬉しい。仮に「いい人ぶっている」とか、「偽善だ」と言う人がいたとしても、「自分に正直でいたいだけだよ」と言える強さも身につけた。人に対して、警戒心を持つこともなくなった。 経験や知識が、自分なりの価値観に変わり、社会の風潮や人の言葉に流される事はほとんどなくなった。もちろん、「人生は死ぬまで学び続ける事だ」と思っているし、「これでいいということはない」ということも承知している。 体力は落ちていくけれど、それはこれからの自分にとって、それほど体力は必要がないということかなぁと楽天的に考えている。肉体的な若さが衰えていくのは、人間の証明だし、心の若さ、健康管理は別の問題だしね。 こどもたちを見ていると、「これから伴侶を見つけて こどもを育てて大変だぁ。頑張れよ」と思う。 「40歳は不惑の歳」といわれるけれど、私にとっては「さぁ、何をしようかな」という惑惑(ワクワク)の歳なのだ。どんなことがあっても死ぬまで ワクワクし続けたい。 |
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| 6. 12 | 柳生家の家訓 小才は縁に出会って縁に気づかず 中才は縁に出会って縁を生かせず 大才は袖振り合う縁をも生かす 「梅吉くんの今日の一言」で、なるほどなぁと思っていたこの言葉が「柳生家の家訓」だと、ネットでお知り合いになった人が教えてくれました。「お互いに大才でありたいですね」という言葉と共に。 「縁」って本当に不思議です。すぐ近くに住んでいながら、話をしたこともない人もいるのに、星の数ほどあるホームページで出会える人もある。ホームページだって、見てもそのまま素通りする人もあれば、少し関わって離れていく人。そして心を開いて話せるようになる人もいる。 友達だってそうだよね。クラスに何十人もいて、長く付き合う人はほんの一部。結婚なんて「縁」がなければ考えられない。何故 あんなにたくさんの人の中から お互いに選べるのか・・・。男と女の数は半々だもの。 こうした「縁」を思うとき、私は人の人生が この世限りのものではなくて、前世があってお付き合いがあったのかなぁと思ってしまう。だから、少しの縁でも大切にしたい。いつかどこかでお世話になっていたのかもしれないと思うから。そして私にできることがあれば、どうぞお役に立たせてくださいと心から願う。 大才になるのは、とても難しいけれど、どんな小さなご縁も生かせる人になりたいと思う。 |
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| 6. 11 | 努力し続けられる事の素晴らしさ ひとつのことを同時に始めても、すぐにコツをつかんで 早く上達する人と、なかなか上手にならないけれど、コツコツ努力して、いつのまにか素晴らしく上達する人がいる。どちらが幸せだろう。 親としてこどもを見ていた時、人と同じか、人より早く上達するとうれしいという気持ちがどこかにあった。それは勉強においても、スポーツやその他のことにおいてもそうだった。でも、こども達が卓球を始めた時、下の子が下手ながらも「好きだから」という ただそれだけの理由で、毎日の生活が全て卓球優先になり、自主トレーニングをし、休まないで練習する姿を見ていて、努力できるというのは 素晴らしいことだなぁと思った。努力が大切なことは 誰もが知っているけれど、なかなか難しい。努力できるというのも ひとつの才能ではないかと思った。また努力することが楽しいと思えるような好きなことに出会えるのも幸せなことだと思った。 努力して 「上達すること」に喜びを感じられる人は幸せだ。結果はあくまでも結果であって、上達すること自体がうれしいのだから。早くに上達する子は 壁にあたった時にあきらめてしまうことが多い。そして そこでやめてしまう事も多くて、とても残念だ。 最終的に成功するのは「才能がある人」ではなく、「努力し続けられる人」ではないかと思う。 努力して なにかをやり遂げたという達成感は、大きな自信になる。努力し続けていく間に得られるものは多く、かけがえのない宝だと思う。 すぐに結果が出なくても、華々しく世間に認められなくても、コツコツと努力し続けられることは そのこと自体が本当に素晴らしい。 |
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| 6. 10 | 優しい世界 「優しさ」ってどんなことだろう。悲しんでいる人、辛い思いをしている人、困っている人、頑張っている人、輝いている人、怒っている人、きれいに咲いている草花・・・生きとし生けるもの全てに対して愛おしいと思う気持ち。ありのままに受け入れる心の広さ。喜び悲しみを共に感じることだろうか。 優しさの表し方はいろいろある。言葉をかける、手助けをする、ただ黙ってそばにいる、蔭ながら見守る。そして時には厳しい言葉で叱咤激励する・・・。そのどれもが 相手の幸せを願う思い。形は違っても そんな優しさに満ちた人に出会えると、とてもうれしい。そして、つい最近も そうした人達の優しさに私自身が 支えられた。心から感謝しています。ありがとう。 幸せだと思える日ばかりではないかもしれない。でも、どんな時でも、どんな小さな優しさにも、気づける心を持ちたい。そして難しいことだけれど、お節介にならない優しさを なにげなくあらわせる人になりたい。 誰もが心を開いて、安心して自分の思いを語れる世界。自分が楽しいと思うことをして、それが他の人の幸せにつながる世界。そんな優しい世界になるといい。世界を一度に変えるのは無理だけれど、まずは自分のまわりから少しずつ・・・。 優しい気持ちで、穏やかで、揺れない心で一日を過ごしたい。すべてのことに感謝しながら。 |
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| 6. 9 | 睡眠不足のおかしな一日 いつもの私は、良かったなぁ、ラッキー!と思うことが多くて「応援ありがとう」と見えない天使に言いながら一日を過ごす。ところが先週の月曜日は違った。 前の日に、娘や娘の先輩達と初めての午前様帰りをし、メールチェックをして寝たのが2時頃。何故か朝早くに目が覚めて、4時間ほど眠っただけで 一日がスタートした。 目は自然に覚めたのだし、いつもどおりの一日のはずだった。ところが・・・。 集金に行って なんと道を間違えた。それも、そのことに気づいたのは40分位走って、間違えたところに戻るにも20分はかかるという場所。違う道を聞こうと、主人に電話をしたのに、この日に限って電話に出ない!まぁいいかと 前進する。いつもならここで、また新しい道が見つかるはずだった。ところが、「よし、見つけたぞ」と思って走り始めた有料道路でなんと反対方向に向かい、150円払って、間違えた地点に戻るという情けない話。遠回りをしたせいで、午前中の集金時間に間に合わず喫茶店で時間をつぶす。家では7ケ月ぶりに帰って来た娘が ランチを待っているから食事もできない。やっと集金をして帰ると息子もいた。珍しく一緒に食事に行こうという話になって、お気に入りの店に行けば オーダーストップ2時で準備中の札が・・・。その時、2時5分。あきらめて、とうふ田楽を食べようと、30分程かかるところへ行けば、2軒ともそろって仲良くお休み。普通どちらか片方やるでしょう?それから長良川を下って、お昼にありつけたのは3時過ぎ。 今までに 経験したこともない間の悪さのオンパレード。「こんな日があるんだ。きっと天使がお休みしてたのね」と思っていた私。でも、これを書いているうちに気がついた。あの日眠っていたのは私。いろいろなメッセージを送ってもらっていたのに、ボーっとしていてそれに気づけなかった! アンテナをしっかりはって、良いインスピレーションを受けるためには、やっぱり睡眠時間って大切だぁ! |
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| 6. 8 | あいまいな表現 昨日に続いて、大野 晋さんのお話を聞いて感じたもうひとつの事。 「日本人は、あいまいな表現が好きで、ぼかしたような言い方をして、結論を出すことを嫌がる傾向があります。○○のような・・・といった表現や ○○じゃないですかといった同意を求めるような話し方もそうした傾向の現れです」とのことでした。ハッキリ言いきってしまうと責任がともなうから、あいまいにして、なんとでも理解できる言い方をする。そして、「このままでは、結論をハッキリ掲げて議論する欧米人とは対等に話ができませんよ」とも言われました。 確かに日本語って、最後まで聞かないとYesかNoかもわからないことがあるし、話をしている途中で結論を変更することもできる。英語はこうはいかない。まず主語・述語がポーンとくるものね。他の国の言葉はどうなのかなぁ・・・。 やわらかくて、平和的な話し方かもしれないけれど、このあいまいさは やはり相手に対して失礼かなぁと思う。お好きなように解釈してねということにもつながるから。自分の言葉には責任を持ちたいなぁと思います。人が、それぞれ違った意見を持つのは当たり前。ということをまず認識すれば、「私はこう思いますがあなたのご意見は?」というのが、お互いの理解に向けての第一歩かなと思う。そして、それができて初めて、同じ土俵で議論する資格ができるのではないかとも思う。 でも、自分の意見をハッキリ言えるためには、物事を冷静に正しく見ることが一番最初にくるんだね。「正見」。そして次に正しく語る「正語」 難しいことだけれど、言葉が意志の伝達手段である限り、これがとても大切なんだと改めて思った。 |
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| 6. 7 | 日本語練習帳 岩波新書から出版されている「日本語練習帳」がベストセラーに入っている。その著者の大野 晋さんがテレビで話しておられた。 「日本人は『日本語は難しい』と言うのが好きですが、日本語に限らず、『言葉』は難しいものです」と。確かにそう。どこの国の言葉であっても、言葉が自分の思い・考えを表現する手段である限り、いかに正確に、思いのままを伝える事ができるかということは、共通の難しさだと思う。また、自分が相手の言葉をきちんと理解できているかどうかも、重要なことだ。 不用意な言葉を言ったために信頼関係が崩れたり、自分の言葉が違った意味に解釈されて、気まずい思いをしたり、関係が悪くなったりするのはとてもつらい。しかし、そうした思いを多くの人が持っていて、どうすれば、自分の意見をきちんとした言葉で相手に伝える事ができるかが知りたくて、こうした本を求めるのかなと思う。 自分の思いを伝える時には、相手がどう受け止めるかと先に心配するのはやめて、まず 正直な気持ちを、そのまま話すことが大切かなぁと思う。それと、わからないことや、心にもないことは決して言わないこと。話しているうちに、思いが変わっていくこと、考えが変わっていくことがあっても、それはそれでかまわないと思う。上手に話そうという気持ちを捨てて、自分の思いを一番表してくれる言葉を選んで 話すこと。こうしたことが 自然とできるようになるためには、やはり練習が必要だと思う。 語る言葉には、最善の注意を払い、言われた言葉には、その意味の多様性を認識できる・・・。 難しいけれど、新しい目標。 |
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