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| 12. 13 |
使う人の心で
新しいもの、よきものが開発され、皆が便利になったと喜んでいると、それを悪用する人が出てきて、社会問題になっていくことがあります。パソコンや携帯電話の普及による一般人が巻き込まれる事件には 見過ごすことのできないものがあります。そんな時、「だから そんなものは必要ないのだ」という人もありますが、私はそうは思いません。世の中の進歩をどのように受け止め、利用していくか。そこが問題なのであって、進歩が悪いわけでも 便利な商品が悪いわけでもないのです。そこを取り違えてはいけないですよね。今年 特に事件が頻繁におきて悲しかったのは、携帯電話による「出会い系サイト」が関連した事件だったでしょうか。何故 メールができるという便利なものが 見知らぬ人との交際につながり、生命を落とすことになるのか……。そんなことを予想して開発した人は 誰一人としていなかったでしょうに。しかし 現実にこうした犯罪がおきてきたことで 携帯メールに対するイメージが随分悪くなったような気がします。私も 一日に何通ものメールの交換をしますが、それは 仲間との連絡をとる上でとても有用ですし、それがコミュニケーションをとる上で 結構な役割を果たしています。もちろん 出会い系サイト等にアクセスしたことはありません。しかし、メールの利用をほとんどしない夫からは 何をしているんだ!という冷たい視線が飛んできます。(--;) 人々の幸せを願って作られたものは やはり皆が幸せになるような使い方をしていきたいものですね。 |
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| 12. 12 |
アイディアが浮かぶ時
科学が進歩して、世の中はどんどん便利なものが出てきています。日常生活においても、15年前には一部の大人しか持てなかった携帯電話を 小学生がもっていたり、一家に一台あれば ステイタスだった自家用車が いまやひとり一台の世界。業務用だったFAXも 画期的だと思った留守番電話も み〜んな今では さほど珍しくも感動もされない商品になりました。新しい商品が出てくる速さは目を見張るほどで、次から次へと アイデイア商品が出てきて、その都度 喜ぶ人達が増えていきます。このアイディアは一体誰が どのように産み出しているのだろうか。そう思うとき、人が喜んでくれることを一生懸命考えている人達の顔が目に浮かびます。人は 自分の欲や見栄を満たすことを考えている時よりも、大切な誰かの喜ぶ顔が見たいと思った時の方が はるかに素晴らしいアイディアが浮かぶようです。それは 何故か。この大宇宙に満ち満ちている 無限の豊かさは、大宇宙を統べるところの仏の愛の念いと波長が合った時に、インスピレーションや経済的繁栄として 降りてくるようになっているからです。ですから、人の幸せを願えば願うほど、素晴らしいものが産み出せ、その結果 この世的には、経済的豊かさや 多くの人に必要とされるという愛の循環をうけて さらに自分自身が幸福になっていくのです。よきアイディアで心を満たすこと。それは仏神と心を合わせることであり、自らがと、他の人を 共に幸せにしていく道なのだと思います。 |
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| 12. 11 |
体験は宝
自分がどんな問題集をかかえて この地に降りてきたのか。生きているうちに それがわかる人、知らされる人は ほとんどいません。たいていの場合、不本意な状態にあると、何故こんなに嫌なことをガマンしなくてはいけないのだろうとか、何故 こんなに辛い人生を送らなくちゃいけないのだろうなどと 思い悩みながら生きていくのかもしれません。その時に、親が悪い。環境が悪い。〇〇が悪い等など、すべて何かのせい、誰かのせいにして、不平不満を言ったり、逆に これが自分の修行なのだと ひたすらガマンをして毎日をすごしていたとしたら、何かを得ることはできるでしょうか。その体験が 魂の成長に役立つでしょうか。「どうせ生きていくなら 笑って楽しくすごしていかなくちゃいけないと思った」と明るく笑うその人は、結婚以来、ほとんど働く意欲がなく 仕事も長続きしないご主人との生活の中で、「泣くことにもつかれちゃった」と いとも簡単に言ってのけました。もちろん、そうした心境になるまでに 本当に多くの涙を流し、ご主人に対しても 心をぶつけ、いろいろな葛藤があったと思います。そうしたことが続いてきた今、愛情から一緒に暮らしているのかどうかも わからないと言うのも 本心でしょう。それでも彼女の笑顔は、誰のせいにすることもなく、自分の人生に責任をもって、物事を真正面から受け止めて生きてきた人だけがもつ強さと輝きを放っていました。体験というのは どのような机上の空論にも勝る宝だと つくづく思います。どんなに立派なことを言ったとしても、あまり苦労をしたことがない人の言葉で 人の心は救われないでしょう。しかし、彼女の言動によって 心救われ、勇気を与えられる人は きっと多いのではないかと そんなことを思いました。彼女の未来が輝くものとなることを祈ると共に、願わくば、彼女が悩み苦しんでいた時に、そっと彼女を見守り 支えていた存在があったことに、いつか気づいてくれたらと思います。 |
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| 12. 10 |
愛される人
先日 皇室の新しい家族には「愛子」というお名前がつけられましたが、一番愛される人というのは、実は 一番人を愛している人なんだなと思います。常に、人の心、人の思いに関心があり、 どうしたら 人を生かしていけるか。人の素晴らしさを輝かせていけるかと、自分のことよりも 人のことを考える時間の多い人が 結局は人から愛されるのですね。「与えるものは与えられる」というのは、「愛するものは愛される」ということでもあるのです。しかし、世の中には、愛するよりも 愛されたい人が 本当に多いような気がします。誰かを愛している時でさえ、結局は 自分が愛されることばかりを考えています。愛されたい人は、人への関心はあまりありません。仲の良い人ならばともかく、そうでない人が どのような環境の中で、どのような思いをもって暮らしているか。そうしたことは考えたこともなく、関心も少ないようです。「愛の広さ」は 「関心の広さ」につながると感じます。多くの人に関心があると いろいろな物事に関心が出てきて、そうすると 多くの人を理解できるようになり、結果、許容範囲も広がるのでしょうか。嫌いな人が少なくなり、家族や恋人に対する愛情とは違いますが、まわりの縁ある人達が 愛しく思えてきます。愛されたいと思う人は まず人を愛すること。もし 自分は人を愛せないと思うならば、他のことに関心をもつことから始めても良いのではないかと思います。きっと関心が広がった分だけ 愛しく思える人が増えてきますから。愛する人が愛される。それを知っていただければと思います。 |
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| 12. 9 |
ウマイ話
金利が下がり、不況で仕事がなくなってくると ウマイ話というのが横行しはじめるような気がします。冷静に考えれば 絶対に成り立たないようなねずみ講に近い話も、その場の雰囲気と 人の心をつかむセールストークに合うと、信じてしまうのですね。「わずか〇ヶ月でこれだけのものを手にしました。貴方も必ずできます。たった〇〇円を投資して たった二人を紹介するだけで 一生〇〇円が入ってくるのです。来年になれば 大々的に宣伝しますから、それまでがチャンス。今ならトップクラスですから 大きな財産をきずけます。来年になって 末端で少しのお金をつかめばいいという人は おやめになってくださって結構ですよ」プランド品に身を固め、憧れの外車に乗った人達に こ〜んなことを言われると つい欲が出て その気になってしまう。悲しい人間の業です。知人が 信頼できる友人から 話を聞くだけでいいからと誘われ、どうせお金もないし、聞くだけならと出かけていった結果かが、「良いような気がするけど、どう思う?」でした。話の内容はといえば上記のこと。実際に商品が何か、どのように収入が得られるのかの詳細の説明もなく、ただ 「〇〇円の投資で一生収入」という 雲のような話をつかんできただけでした。うまい話には 必ず落とし穴があります。ネットビジネスでは 一部の中心近くにいる人はともかく、末端が大きな財をなすことも まずできません。その上 それが悪質なものであった場合、自らが加害者になってしまうこともありますから、その責任をとれるかどうか。そこまでの覚悟もいると思います。たくさんのお金は出せないけれど、10万、20万なら何とかなる。将来に不安があって、少しでも収入源を確保したいと切実に思っている高齢者や 社会経験の少ない新社会人が 特に狙われます。そうした人達が、騙されたり、自らが加害者になったりしないように まわりの人達が注意深く見守り、相談にのっていくことが 大切だと思います。 |
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| 12. 8 |
東京 泉岳寺にて
本日12月8日。泉岳寺近くに 「新しい東京のシンボル」ともなり得る「東京正心館」が落慶しました。完成間近に見た写真では、世界中のどこにもないような芸術性の高さを誇る素晴らしい外観が印象的でしたが、その落慶式に参列した友人からの感動のメール第一弾は「あまりの美しさに声を失いました。楽しくてありがたくて、こんなに幸せな正心法語拝唱は初めてです」というものでした。皆さんは 光溢れる磁場の中に入るという体験がおありでしょうか。天使がいるのではないかと思うような あたたかく清らかで、優しく光に満ちた空間をイメージすることができるでしょうか。様々な人の想念が渦巻く都会、東京の地に このような素晴らしい光の磁場ができたことは 日本に生きている人間にとって 本当に幸せなことです。その出現の時に 日本の地に生まれ合わせているということ自体が奇跡ともいえるのではないかと思っています。この世を去るまでに 一人でも多くの方にそのことに気づき、自分の使命に目覚めてほしいというのが 一番の願いです。落慶式を終えた後 年内一杯はクローズ。新年1日から開館です。お近くまでいかれた際には 是非お立ち寄りください。どなたでも入れます。きっと魂がひっくり返るほどの体験をされるでしょう。参列はできませんでしたが、今日は本当にうれしい記念すべき日でした。喜びに満ちてこの日を迎えることができましたことに 心から感謝致します。 |
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| 12. 7 |
敬宮 愛子様
1日に誕生した 内親王のお名前が決まりました。敬宮(としのみや)愛子様。なんでも孟子様の言葉が出典のようで、人を敬う人は 人から敬われ、人を愛する人は 人から愛されるというような意味が込められているとのこと。素晴らしいお名前を選んでくださった皇室の方々、素晴らしいなとうれしくなりました。愛される人にではなく、愛することのできる人にというのは 正に与える愛に生きよということ。目上の人に対してでも「敬う」ということが 置き去りにされているような時代にあって 人を敬い愛する子にと願われるそのお心が美しく ありがたく思えます。愛を与える存在として生まれてこられたのだなぁと感じます。愛子という名の「女帝」が誕生するかもと思うのは 私だけでしょうか。お健やかに成長されますように。 |
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| 12. 6 |
頭ごなしに怒らないで
最近 私は、とても忙しくて 以前にもまして家事には手抜きになっている。手抜きというよりも とにかく時間がない。年末に向けて 益々忙しくなることはわかっているこの時期、年賀状の準備どころか 大掃除も 手をつけられるかどうかという余裕のなさ。それで一番犠牲を受けているのは 多分我が亭主殿で 最近期限が悪いのはわかってた。今日も 申し訳ないなぁと思いつつ、部屋の片付けもそのままに出かけて、6時に帰宅してみると……。「何をしてるんだ!」と突然のお叱り。いつも帰ってくる7時頃までには少しでもと思い、買い物もすませて帰宅したのに このいきなりの先制パンチは ちょっとね。理由くらい聞いてよ。いつもより早く帰ってきて それはないよ〜。(>_<) こんな時、ケンカをするのは簡単だけど、私は ケンカはしない。亭主殿の言い分にも もっともなところはあるし……。だけど こんな時、頭ごなしに叱られる子どもの気持ちがわかったりするんだよね。理由も聞かず、いきなり叱られることがどんなに嫌か。気をつけて それだけはしないでおこうと思って子育てをしてきたつもりだけれど、時と場合によっては 頭ごなしの時もあったかなと 少し反省。食事中もほとんど口を利かないで、とにかくご機嫌ナナメの亭主殿。明日になれば普通に戻るだろうけれど、勘弁してほしいなぁ。こういうの。 |
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| 12. 5 |
タリバンの行方
ニューヨークのテロ事件から もう少しで三ヶ月がたとうとしています。アメリカの空爆は、時には、関係のない一般市民を死に追いやり、悲しみを増やし続けているだけのようにも見えます。「テロは絶対に許さない。その指導者にも自由は与えない」と 強気の発言をするブッシュ大統領。確かに テロ行為は許されないと思います。しかし その報復の為に 罪もない一般の人達が生命を奪うことも また神は許してはおられないでしょう。本当に難しい選択だと思います。タリバン兵は どんどん追い詰められ、自爆テロという言葉が 新聞に増えてきました。聖なる戦いに生命をかけることは 天国への道であると信じて疑わないタリバン兵。自らの生命を 他の人の生命と共に奪うことを 神様が喜ばれるはずはないのに……。誤った宗教に洗脳される怖さと それを信じている人達への哀しみを感じます。人は神の子として 国を問わず、兄弟であり、尊い存在です。この世に奪ってよい生命など ひとつもありません。愛の教えを信じているというならば それをこそ証明する時でしょう。タリバン兵が自らの生命も大切にして生き延び、寛大な措置によって生命を助けられ、正しい信仰にそって生きていけることを 心から願います。 |
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| 12. 4 |
心に優しい本
先日 妹が、「お姉ちゃん これ見て。いいと思わない?」と 一冊の薄い本を見せてくれました。中には31章の優しいエッセィ。心が元気になるようにと 一月分の 心のお薬のような本でした。題名は 忘れてしまったけれど、行間の広さ、ほっとする言葉づかいは 疲れた心を癒し、ちょっぴり間違った思いは反省させてくれるような そんなあたたかな本でした。中身はといえば 結構似てるのです。Cross
my mind の内容に。自分を好きになること。人を愛すること。感謝すること。私が長々と書いている文章のエッセンスを ぎゅっと集めたような31章でした。ついこの前、出版しようなどと エッセィを公開した私としては 身につまされるものがありました。私はやはり欲張りだったな。文章も自己主張しすぎていて、読む人には心地良いものじゃなかったかもしれない。読んでくれる人に対する優しさも足りなかったなぁと 後から後から 反省点が出てきました。それと同時に、今度挑戦する時に目指すスタイルが見えてきたような気がして ちょっぴりうれしくなりました。優しくて、未来に希望の光が見えてくるような本。いつか そんな本を 皆さんにお届けできたらいいなと思いました。タイトルと作者 わかったらまたお知らせしますね。 |
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| 12. 3 |
本音 話せますか?
人間関係がうまくいかなくなった時、一生懸命頑張っているのに苦しい時、人は「本音を言えない」といいます。本音を言うと、調和が崩れるというのです。本当にそうでしょうか。本音を言わないからこそ お互いに理解しあうことができず、次第次第に気持ちがずれてきて、関係がぎくしゃくしてくるのではないでしょうか。本音を言えない中で保たれたうわべだけの調和が 本物でしょうか?「本音をいえない」という時、それは相手が悪いわけではなく、本音を言って 何か言われたらどうしようとか、嫌われたらどうしようという 自己保身を感じるのですが、実際のところはどうなのでしょう。私はいつでも 自分の気持ちに正直でいたいと思います。もちろん 正直な気持ちなら何を言っても良いということにはなりませんし、言い方に対する配慮も必要だと思います。その上で、たとえノーであったとしても 自分の気持ちを 正直に伝えていくことが 人としての誠実さだと信じています。たとえ そのことで、一時 調和を欠いたとしても 自分を誤魔化しながら、相手に向かうことの方が 不誠実に思われて 絶対にしたくないことなのです。いつも本音を話していれば、いつか どんな人間なのかということは わかってもらえます。わかった上で、好きだと思ってもらえるかどうか、それは相手が決めることです。嫌われたとしても仕方のないことだと そうした覚悟もいるのではないでしょぅか。建前と本音なんて 使い分けるものじゃない。いつも本音を語れるように努めることが 幸せに生きていく方法だと思います。
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| 12. 2 |
学級崩壊に愛で向かう
今年の夏、小学5年生の子をもつ母親達が、授業もまともにできない学級の様子に困り果て、学校側と話し合っても解決の糸口がつかめず、教育委員会に陳情にいく準備をしていたことがありました。学校に親が交代で出かけて、授業がきちんとできるように監視をした実態や 先生の言動等 たくさんの資料をそろえ、あとは日にちを決めて 教育委員会に行くばかりという話を聞いたのは、夏休みが始まる前だったと思います。それで 本当に解決できるだろうか。もっと根本的なところ、たとえば親の問題もあるんじゃないだろうかという話もしたのですが、なにしろ 小学生を育てていたのは10年も昔の話。最近の学校の状況がわからなくては 相談相手にもなれません。ただ 過激に走るのが良いとは思えず心配していました。そんな時、その母親は ひとりの女性保護観察官と出会い、見事に方針を変えて解決に導きました。というのは その方が、「学校を愛しなさい。子どもや先生をも愛するんだよ」と言って すぐにその資料を捨てるようにすすめたからです。彼女にすれば皆の先頭にたって 最後の詰めまでしてきたことを すべて白紙に戻せといわれたのと同じこと。いろいろな葛藤があったと思います。しかし、彼女自身気づいたのですね。教師を責め、学校を責めるだけでは何も解決しないことに……。それからの展開は 月刊誌「リバティ・1月号」の「愛のリレーで子どもを救え」という特集記事として掲載されています。子どもをもつ方もそうでない方も、是非御一読ください。すべてのことは 愛の力で解決できるということを きっと確信されるでしょう。
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