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| 8. 15 |
終戦記念日
21世紀になって初めての「終戦記念日」がやってきました。今年は、小泉総理が 就任以来一貫して、「15日に 靖国神社に参拝する」と表明していた事から 近隣諸国からの反発もあり、国内でも賛否両論が噴出して 靖国神社自体も大きな関心を集めたことと思います。小泉総理は 熟慮された結果、13日に参拝されました。そのことを「姑息な手段だ」と言う人たちもいますが、私は 総理の決断を評価したいと思います。それは、「参拝後、必ず自分の真意を理解していただけるよう近隣諸国の首脳と話し合う準備がある」という言葉の中から、総理の、二度と戦争を起こしてはならないという硬い決意と、このことを いつまでも近隣諸国との争いの元にしたくないという思いが伝わってくるような気がするからです。今回のことでは 13日に変更をしたくらいでは許さないというような 近隣諸国や反対派の声も聞こえていますが、過去の過ちは過ちとして認め、恒久的な平和を目指す国として 世界をリードし続けていこうという日本人の思いで今後の政治をされていくのなら、いつか必ず和解できる時がくると期待しています。戦争を知らない子ども達が親となり、戦争があったことさえ知らない若者が増えているとも聞いています。実際の体験を語る人がいなくなったなら そうした事を考える機会すらなくなっていくかもしれません。しかし、戦争という悲劇を地球上から無くす為にも、自らの利益のみを追求した時に、人間がいかに愚かな行動をとるか、戦争によって失うものがどれほど多いかを考え、多くの尊い生命の犠牲の上に 現在の平和があることを知り、平和な時代に生きることの幸せに感謝する日として「終戦記念日」を大切にしていきたいと思います。 |
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| 8. 14 |
故人の供養
お盆には 各地で故人を偲び、供養する為の様々な行事がされるようです。昔、「精霊流し」の歌を聴いた時、その情景が目に浮かび、残された人の悲しみや その思いが流れ込んできて 驚いたことがありますが、小さな頃から そうした慣習を見て育った人達は、亡くなった人に思いを馳せることで、死を身近に感じ、生命を大切にして、よりよく生きようと考えられるようになるのでしょうか。
お盆の時には「地獄のカマの蓋も開く」といわれているそうですが、確かに この時期には、亡くなった人が近くにいるような感じがしたという不思議な話をよく聞きます。私のまわりだけでも そうした体験者は一人や二人ではありませんから、結構現実におきていることなのかもしれませんね。先祖供養は どこの宗教でもしているようですが、「最近お墓参りに行っていないから体調が悪い」などと言う話を聞くと 何だか、「自分の体調をよくしてもらうために、お墓参りをする」と言われているようで 少し残念な気がします。ご先祖様が救われたくて 子孫の体調を悪くしているという考え方や、自分の体調が悪いのをご先祖さまに治してもらうという考え方は、どちらも 自己責任の原則からはずれていますから、おかしいのではないかと思っています。もし「正しい供養」というのがあるとしたら、それは 亡き人に感謝の思いを奉げ、「私達子孫も 心正しく幸せに生きてきますから、ご先祖様もあの世で さらに精進して より幸せになってくださいね」と祈ることではないかと思いますが、お寺の和尚さんに尋ねたら、どのような返事がかえってくるのかとても興味があります。
皆さんは 供養についてどのようにお考えですか? |
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| 8. 13 |
心の中の闇を溶かす
最近、衝撃的な事件がある度に「心の闇」という言葉をよく見聞きするようになりました。人の心の中に本当に闇があるのかどうか……。仮にあったとしても、そんな簡単な言葉ひとつで、問題を片付けてほしくないという気がします。「闇は光の不在。光のみ実在」という「光一元思想」を信じたい私としては、あまり積極的に認めたくない「心の闇」ですが、過去の失敗や挫折の体験等でできた心のくもりが、闇へと変化していってしまうことがあるのかもしれないとは思います。どんな人であっても、失敗や挫折をすると、少なからず心に傷を負うものです。その心の傷を早く癒し、そこから何かを学びとり、さらなるステップアップの為の原動力とできればよいのですが、それが 恨みや憎しみ等に変わっていくと、それが 「闇」として心の中を占め、悪しきものを引き寄せ、信じられない事件をおこさせるのかもしれないと思いました。そうなる前に、心の闇は 小さなうちに溶かしてしまうのが一番です。認めたくないものであっても、自分の心の中に闇が芽生えたと感じたなら、その部分に光をあて、客観的な目でそれを分解し、自分に何を教えようとしているのか、その体験から何をつかむべきなのかを学び、あとはサラサラト流してしまうことができれば、深い闇を作ることもなく、晴れやかな心で生きていけるのではないかと思います。事件がおきるたびに、心の闇などという言葉が横行しないよう、自らの心をコントロールできる人が増えることを願っています。 |
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| 8. 12 |
天使が空から舞い降りた
朝一番で友人から受け取った携帯電話のメールには 天使の存在を確信し、その天使に支えられて生きている自分を発見した喜びが溢れていました。彼女は 聖なる磁場で一泊二日の修行を終えたばかり。俗世から遮断されたような場所で、心静かに聖黙で過ごした時間は、きっと 素晴らしい時間だったのだろうと思います。「一日目 何も感じられず、失意のうちに眠ったけれど、二日目の今朝、瞑想の中で、多くの天使が降りてきて、自分の背中を支えてくれている様子が思い浮かんだ」と書いて送ってくれました。その研修をすすめ、その場所まで送っていった私に対して書かれていた「ありがとう。」という文字からは、本当にうれしそうな思いが伝わってきて、私もとても幸せな気持ちになりました。天使や守護霊の存在も、その応援も 心から信じているし、インスピレーションを受けているとは感じていますが、明確なビジョンとして思い浮かんだことがない私としては、一度でもそんな様子が目に浮かんだらいいなぁと 少しうらやましく思いました。でもね、すぐに そうした体験をしたのが彼女で良かったと思い直しました。私は、何も感じられなくても、特別な体験ができなくても あまりめげないのですが、彼女は 何も感じられなかったら、やはりしょんぼりして帰ってきてしまっただろうなと思うからです。さすが、天使。姿をあらわす相手を よ〜くご存知と思いたいのですが、天使と心の波長が合えば見えるという説もあるので やはり時には姿を見せていただける様 心の修行を続けていきたいなと思います。舞い降りてくるたくさんの天使、一度でいいから見てみたい。
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| 8. 11 |
愛の原点
日本人は「愛」という言葉を口に出すことがとても苦手だと思います。私自身も、愛深き人と言えば マザーテレサに代表されるようなキリスト教徒の人達が思い浮かびましたし、口に出すことはおろか、自分の心の中には 優しさや愛の思いが少ないのではないかとさえ思っていました。「愛と強さ」のどちらを大切にするかと問われたなら、若い頃の私は「強さ」を選択していたと思います。実際に 当時10歳だった長男には、多分優しさよりも 強さを求めて育てていたと思います。しかし、それは間違いでした。誰の心の中にも 溢れるほどの愛があり、本当に愛ある優しい人は 一番強くもなれるのだと気づきました。以来私は、それまでは出すことが恥ずかしかった自分の心の中にある「小さな優しさ」を、隠さないで発揮していくように努めました。そして、小さな優しさも いつか大きく深い愛につながるのだということ。愛されることを望んでいる時よりも、自分が愛することができた時のほうが 喜びが大きいということ。与える愛こそが「愛」の始まりなのだということを知りました。誰の心の中にも いっぱい愛が溢れているんだよ。何故なら 私達は神様の愛の中から生まれたのだから。そう伝え続けていくのが 私の仕事でもあるかなと思うこの頃。生きていく上で一番大切な愛について 多くのことを教えてくれた「愛の原点」。13年ぶりにもう一度読んでみようと思います。 |
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| 8. 10 |
ニューヨーカーの禅修業
今、ニューヨークで座禅が流行っているそうです。日本のお寺と見間違えるほどの禅寺には アメリカ人の修行僧もいて、座禅の体験をしに来る人達の大半はアメリカ人です。仏教の教えは、まず自分の内面と対峙していくことから始まります。もちろん そうした自力だけではなく、他力の支援を信じることも大切なことですが、その「自分の内面を見つめる」ということが アメリカの人達にとっては新鮮なことのようでした。日々忙しく過ごしていると、つい心に余裕がなくなってしまい、自分が何を望み、何を考え、何の為に仕事をし、生きているのか……。そうしたことも わからなくなってしまうことがあります。座禅の体験に来て、そのまま修行僧になってしまった人は、ウォール街でバリバリに仕事をしていた弁護士さんだったそうですが、やはりそうした日常に疑問をもち、禅によって 本来の自分を取り戻したようでした。自分の心を見つめ、穏やかな心で暮らすことが どれほど幸せか、その為の静かな時間をもつことが いかに大切であることを彼らは知ったのかもしれません。禅だけが 心を見つめる修行だとは思いませんが、日本人が忘れかけていることを ニューヨーカー達が実践しているというのが なんとも不思議であり、またうれしくもありました。どこの国の人であっても こころが求めることは共通しているのですね。人類皆兄弟。\(~o~)/ |
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| 8. 9 |
人生とは
「人生とは死ぬまで戦い続けること」この言葉を見た時、何となく意外な気がした。生きるとは、日々の感謝の中で いろいろなことを楽しみ、時には悲しみや苦しみも乗り越えながら、歩き続ける事と思っていた私にとって、「戦う」という意識は ほとんどなかったからだ。しかし、その言葉の意味を考えてみようと思った。私は今まで何と戦ってきたのだろう。また、これから先何と戦っていくというのだろうか。そして、思い浮かんだ「戦う相手」とは、「自分自身の弱い心」。己の弱さ、己の弱さが呼び込む魔、そして 己の弱さが表す障害物……。どんな人であっても、何一つ問題なく、悩みのない人生を生きることはあり得ない。ひとつ問題が解決すれば、また次の問題が現われてくるのが常だ。それは、そうした環境の中で、どれだけ自分の心を鍛え、心平かに過ごせるか、理想とする仏神に近づく為の努力をして生きていけるかが、私達が生まれてきた目的のひとつでもあるからだ。しかし、現実の問題として、時には 自分を責める思いや、卑下する思い、怒り、苛立ちといった マイナスの思いが出てくることもある。どんな思いをもつこともできるのが、人間の心に与えられた自由だとしても、やはりそうしたマイナスの思いは、仏神へと通じる心ではない。それに気づいた時に、自分の弱さをふりきり、仏神と 仏神の子である自分を信じて、プラスの思いに転じていくことが、私にとっての戦いかもしれないと思った。機会があれば より深く考えてみたいことではあるが、今の私にとって人生とは、「全てを受け入れながら 無限の向上を目指して淡々と歩き続けていくこと」そんな気がする。己の弱さに打ち勝ちながら……。 |
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| 8. 8 |
快適マウス
今使用しているパソコンを買って2年半近くがたつ。だんだんとマウスの動きがニブクなり、最近では思ったところにポインタが合わなくなってきて イライラすることも多くなってきた。こんなことで、ストレスをためるなんて馬鹿なことだなぁと思いながらも、なかなか変えられないでいた私。やっと新しいマウスを購入し、USBポートに接続。ドライバのインストールをしようとしてハタと気づいた。CDがちっちゃい……。
我家のPCは縦置きで、ちっちゃなCDが中で落っこちて、パソコンが動かなくなってしまったらどうしようと思うと、心配でできない。マウスを買ったお店の人は、「CDは使わなくてもセットできるはず」と言うけれど、パソコンはCDの中にあるドライバを要求する。結局 元のマウスを差し直し、時には投げ出したくなる思いと格闘しながら一週間。今朝になって息子に尋ねてみた。「小さいCDを使えるようにするCDトレイもってない?」「……。パソコン横置きにすればいいんじゃないか?」あっという間に事は解決。うれしくなるほど快適なマウスが使用可となった。こんな簡単なことに気づかなかった自分の馬鹿さ加減に あきれるやら笑えるやら。心の余裕をどこかに置き忘れていたのかと少し反省した。ちっちゃなマウスが与えてくれた快適生活。息子の一言とマウスに感謝! |
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| 8. 7 |
理想に向かって
長引く不況と先の見えない不安の中で、今の生活を維持するのが精一杯。気が付けば夢も希望もなく、大きな理想を描くどころか、何を理想としているのかもわからない……。そんな思いにとらわれることはありませんか?最近では、倒産件数が過去最高だとか、好調だと思っていた松下電工やソニーまでもが 赤字になったとか、そうした不景気な話ばかり。そんな中で 明るい未来を思い描くことが難しいというのもわかります。しかし、だからこそ、こうなっていってほしい、こうしていこうと、理想を掲げて頑張っていくという前向きな念いが大切なのではないかと思います。
小泉政権は 多くの国民の期待を背負っていることは、十分承知の上で、最善の政策を考えていると思います。改革によって どれほどの痛みが、どれほどの間 私達にふりかかってくるのか、それはわかりませんが、小泉政権を支持し選んだからには、信じて見守ること。そして私達が、自分の理想を少しずつでも実現させていくことが、皆の心を明るくし、より良い日本を創っていく原動力になるのではないかと思うこの頃です。ひとりひとりの小さな力も それが集合想念となっていった時には、世界を変えるほどの大きな力となるのではないでしょうか。愛と理想をもった人が発展し、生き生きと活躍できる社会になることを 心から願っています。 |
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| 8. 6 |
気を使って疲れていませんか?
昔々、「気配りのススメ」という鈴木健二さんの著書がベストセラーになったことがあります。そこに書かれていた気配りの数々は、確かにこうした気配りが自然にできる人が増えたら、お互いに気持ちよく暮らしていけるだろうなというようなことばかりで、そうできる人になれたらいいなぁと思ったことも 覚えています。しかしそれは、あくまでも「自然に」ということで、もし、あの本の中に書かれているような気配りの行き届いた人であることを自分自身に求めたら、きっと 考えただけで疲れてしまうだろうなぁと思いました。最近、「すごく気を使っているのに、そのことが逆に まわりとうまくいかない原因になっている人」が 気になります。(そんなに気を使ったら窮屈でしょう?)と思うほど 気を使っているのに、それでも まわりとうまくいかないのでは ご本人もどうしてよいのかわからないのではないでしょうか。ただ、そうした人達を見ていると、その人達の気の使い方が、どちらかというと「相手を思って」というより、「自分自身が 悪く思われたくない」という気持ちでそうしているのではないかと感じるのですが、どうなのでしょう。悪く思われたくないという気持ちが潜在意識の中にあると、どうしても心が硬くなり、相手に対してガードする気持ちが働くのですが、その自分が作ったガードが相手の思いを 余計にわからなくしてしまうようです。ですから、思い切って 自分のこころを素直に素直に出してみた方が、相手の気持ちがわかり、余計な気を使うことから自分を開放してあげられるのではないかと思います。気を使いすぎて疲れてしまうような優しい人は、ありのままの自分をだしとしても、人に嫌な思いをさせることはまずないと思いますし、疲れてしまうような気の使い方をされたら、相手もまた疲れるのだということを 少し知っていただけるといいかなと思います。 |
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| 8. 5 |
返事が届かない訳
最近では パソコンの他に、携帯電話でも メールの送受信が可能になり、あちこちで いろいろなメールが飛び交っています。そんな中で、メールを出したのに、返事が来ないと、いろいろなことを考えてしまいますね。先日も 娘に頼まれた荷物を送ったのに、ナシのつぶて。着いたとも、着かないとも返事がない。「ニもち届いたの?」と第一弾のメールを送っても返事ナシ。「あのねぇ、返事くらいしなさいよね。親子でもそれがマナーだよ」と再度送っても、返事ナシ。土曜日になり、携帯にかければ、「電波が届かない!?」 再度かけて、今度は呼び出し音がなったと思ったら、「ごめんなんさい。ただ今電話に出られないの」とキティちゃんの声らしき留守電応答。「ふざけるなぁぁぁぁぁ」と思わず、「いい加減にしなさい。連絡するように!」と伝言を残す。こんな時、遠くにいる母親としては、「何かあったのかな。大丈夫かな?」と やっぱり少しは心配になっちやうんだよね。ノーテンキに電話をかけてきた娘曰く。「メール送ったよ。届いてないの?」だと。全くメールは届いているものとお互いに思っているから、こうしたこともあるんだなぁと思う。先日も いつもなら返事がくるはずのお友達に「メール届いた?」と聞いたら、「ゴメン、パソコン壊れてて、ずっとメール見てないわ」だって。ガ〜ン!!結構こうした訳があるようで……。(^^;)
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| 8. 4 |
逃げないでよかった
訳がわからずに心配していたサーバーの移転も システムがわかれば、何のことはない。「いつサーバーを変えることになっても大丈夫」と、チョッピリ自信もついた結末だった。そして新しいサーバーに、全てのファィルをアップロードし、無事表示されたのを確認してほっとしたのもつかの間。今度は掲示板とゲストブックが うまく機能しなくなってしまった。普通に表示するだけのページと違って、掲示板のように、書き込みができるアクティブなページには、cgi
というプログラムファィルが使われているのだが、私はこれがサッパリわからない。以前は サーバーの管理人さんにお世話になって、何とか設置してもらったものの、今度は助けてくれる管理人さんもなく、アドバイスをしてくれる人はいても、何がなにやら。この際、レンタル掲示板に切り替えようかなぁなどと 弱気になって、そうしたサイト検索したりもした。でも ここで逃げてちゃ女がすたる?と覚悟を決めて、設置Q&Aを読みながら挑戦したところ、あらら できちゃった。ゲストブックやオーダーフォームは 少し裏技も使ったけれど、以前より満足のいく形で無事設定完了。人ができるということは やはり やってみるものだなぁと実感。わからないからと他の掲示板に変えたり、誰かにお願いしたりして逃げていたら、私は何ひとつ知識が増えることもなく、きっとひとつ自信を失った。でも、少し気合を入れて、頑張ってみたら、知識も増えて、自信もついた。この積み重ね、この差は大きいね。逃げたくなったらちょっと考えてみよう。これを逃げて、本当に大丈夫?って。 |
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| 8. 3 |
ばかばかしくなっちゃった*^o^*
世の中には、物事をふか〜く考える人と、それほど 深く考えない人があり、自分の欠点をじ〜っと見つめてしまう人と、欠点よりも長所よ♪と 自分の良いところを見ていける人がいます。人の言葉が心にささって、いつまでもそれが抜けない人もあれば、どんな言葉も さらさらと受け流していける人もいますね。それぞれの個性で どちらが正しいと言えることではありませんし、その度合い、バランスもあると思いますが、できれば 「よく考えて、自分に自信をもって行動し、他人の言葉に耳を傾けるけれど、必要以上に気にしない!」 そんな風になれるといいなと思います。
毎日の生活というのは 単調なようでも結構いろいろあって、自分自身のことや、家族のことの上に、町内やその他の活動での役が回ってきたりすると なかなか大変なことになりますね。そこで 「自分にできるだけのことをすればいいや」と思えれば それほど負担ではないことでも、「立派に役目を果たさねば」と思うと、何だかすごいプレッシャーです。責任感の強い人ほど、いくらまわりが 「それでいいんだよ」と言っても、まだやり足りないとか、 これでいいんだろうかと悩んで落ち込んでいってしまうのが とても残念です。でもね、そうしたプレッシャーに耐えながら頑張っていた人が、「もうダメ!」と思って、涙ながらに皆に気持ちを打ち明けた結果、何と言ったと思います?「自分が悩んでいたのが ばかばかしくなっちゃった」ということでした。*^o^*
気が付いたら ばかばかしくなるようなことで、悩み 苦しんでいること ありませんか?
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| 8. 2 |
必ずわかる時がくる
私達が今生きている世界は、本当のことが なかなかわからないことのある世界です。「正直者が馬鹿をみる」などという言葉も、人を騙したり、自分のことしか考えていないような人が成功したり、正直に心清く生きている人が、時には損をしているように思えることもあることから 生まれてきたのでしょう。また、いわれのない中傷をされたり、真意が伝わらないで誤解を受けたり、人を信じられなくなるような苦い思いをしたことのある人も いるのでしょうね。そんな時、人はどのようにして その辛さをやりすごすのでしょうか。多くの場合、中傷に傷つき、誤解を解こうと必死になり、それができないとなると絶望し、何故こんなことになったのだろうと 人を恨んだり、逆に自分を責めたりしてしまうことがあるようですか、それは とても惜しい考え方だなと思います。この世ではわからないことも、実在界と呼ばれる「あの世」からは すべて見えていますし、神様も守護霊もそして自分自身わかっています。また どんな時でも、貴方を理解してくれる人は 身近に必ずいるはずです。ですから、神様や自分の良心に恥じることがないと思うのなら、どれだけ自分が不動心を保てるかという修行だと思って、どのような中傷や誤解にも負けないでほしいなと思います。真実は、いつか必ずわかってもらえる時がくるのだということを信じて……。 |
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| 8. 1 |
室内熱中症
今年の夏の暑さは 少し異常です。7月中旬から40度に迫る日が続き、37度が涼しく感じるほど。今日も自動車の温度計は室外温度41度を表示していました。40度の熱があったら 人間だって大変。そんな中で毎日を過ごしていること、少し意識した方が良さそうです。夏には 炎天下でスポーツをしたりしている人が倒れる「熱射病」が定番でしたが、最近では、室内にいて、熱中症になり 気分が悪くなったり、倒れたりする人がいるそうです。エアコンの利用によって、汗をかいて体温調節をするという 人間本来の身体の機能が衰えてきた現代人だからこそ おきてきた現象なのかもしれませんね。私自身 いつも快適な温度の中にいるわけではないのですが、汗をかくことが少なく、まわりの温度に合わせて体温が上がったり 下がったりしてしまい、暑い部屋の中では 本当に体温が上がっていくことを感じます。まるで『変温動物』ですね(^^;)
こうした状況の中で、スポーツや仕事をする場合には、水分(できれば塩分も)の補給を欠かさず、あまり暑い日には 無理をしないということが大切ですし、子ども達の場合は、遊びに夢中になると 暑さを忘れてしまいますから 親の方で注意してあげることも必要でしょう。炎天下にどうしても出なくてはならない時には、タオル等を巻いて帽子をかぶるのも良い方法のようです。子どもだけでなく、私達大人も 熱中症の怖さを知り、予防策を知って 自分の身も、他の人の身も守っていきたいですね。
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