Cross my mind Y  1999.4.22to5.6



4月22日
メディアと倫理
「メディアと倫理」というMLに参加しているけれど いまだになかなか発言が出来ないでいる。私はこうした世界とは無縁の人間で、新聞や雑誌、テレビといったメディアに対する感覚は ごく普通の一般人だと思っている。ただ、最近の一部のテレビ番組や ヘアヌードがあふれる雑誌については思うことの多いこの頃である。そのMLの中で
>テレビの、朝の番組の騒がしさ、昼の番組のばかばかしさ、 夜の番組のいやらしさ、何とかなりませんかね。
> まったく、その通り。特に深夜のエロ番組づくしには閉口しています。 仕方がないのでスカパーに加入しました。おかげで見たい時に見たい 番組を見られるようになりました(別に宣伝をしているわけではありま せん)。

というご意見が出され「そうそう、そうなのよね。やっぱり皆そう思ってるんだ」と安心していたら

>だったら見なければいいのではないでしょうか。
>番組制作も一つの仕事ではないでしょうか。
>このようなご意見は、制作者(社)をないがしろにするようなものだと
>僕は思いますが、いかがなのでしょ。
>見たい時に見る、見たくないものは見ないで「済む」お話だと思います。

というご意見が出てきて、やっぱりそうかーと思うと共に、それでは困るという思いがむくむくと出てきた。見なければいいというのは 大人の場合。こどもがいるとそうは言っていられない。いまやテレビは、一般の家庭の中で大きな存在を占めている。良い番組から受ける影響もあるけれど 良くない番組からうける悪影響も否定できない。特にこどもには見せたくない番組のなんと多いことか。特に深夜の番組は 大人が見てもおかしな気分になるものがあるりではないかなぁと思う。思春期のこどもにあれは良くない。こどもを健全に育てるための環境はやはり大人がつくっていかなくてはと思う。
誰でもが見られる テレビや雑誌に これほどまでに暴力・性的表現があふれている国も珍しいのではないだろうか。これはやはり恥ずかしいことだと思うのだけれど、本当にそうしたものの制作にたずさわっている人の意見を聞いてみたい気がする。

4月23日
出来て欲しくないもの・・・
世の中倒産とリストラの嵐に見舞われ、不況といわれて久しいけれど 次々と店舗を拡張している元気な業種もある。
ゲームセンターとはとても言えない 豪華な設備のアミューズメントに これでもかとばかりに増えつづけるキャッシングコーナー。
そのどちらもが 人を惑わし、堕落の道へと誘う悪魔の館に見えてしまうのは私だけだろうか。
年に一度くらい こうしたアミューズメントをのぞくことがある。こどもが出入りしていても心配だけれど、あまりにも大人が多いことに驚く。ゲームが悪いと一概に決めつけることは乱暴かもしれないけれど、人間の向上につながる素晴らしい時間の使い方とも思えない。ストレス解消だったら 自然の中で時間を過ごしたほうがずっと良いような気さえする。
無人のキャッシングコーナーが出来て、昔サラ金と呼ばれた裏の金融業界は一気に景気が良くなった。お金を借りに行くことは恥ずかしいという、人の心理を見事についた商法だ。その結果生活に困ってではなく、遊ぶお金を借りる人も増え 自己破産者が急増した。無人のマシーンは人の感覚を麻痺させる。
こうした営業のしかたに異議を唱える人はいなかったのだろうか。

今もっとも出来て欲しくない アミューズメントとキャッシングコーナー。 

4月24日
メディアの暴力
アメリカ・コロラド州で 高校生による銃の乱射事件という信じがたい事件が起きた。こんなにも銃による事件がおきているのに いまだに銃を持つことが許されているアメリカという国もよくわからないけれど、今日は少しだけメディアによる暴力表現の影響ということを考えてみた。
今回の事件が ある映画の一シーンに酷似しているということで アメリカでもすでにこうした暴力シーンの多い番組の放送規制といった声が上がっているようだ。
それに対して、メディア側では「芸術や娯楽にはきわどい表現がつきもの」「家庭の荒廃や銃の普及の方が深刻な問題だ」と反論しているとのこと。これについては 責任転嫁ではないかなぁと思う。
芸術には 天国的な素晴らしいものが多くある。人の心の中の暴力的な思いを目覚めさせ、増長させるような表現を 本当に芸術だといえるのだろうか? こうしたものを制作してなんとも思わず、発信している人達がいるから 荒廃するような家庭しかつくれない人間になってしまうという考え方もあるのではないだろうか。
人間は本来素晴らしい魂をもった 善なる存在だと信じているけれど、こうした暴力的表現のものを繰り返し見ることによって、また悪影響を受けてしまう弱い存在でもあると思う。
芸術の名のもとにこうした人間の悪しき欲望を刺激するものを作るのは、是非やめていただきたい。
未来を託すこどもたちの為に。

4月25日
良かったさがしと小さな幸せ♪
朝目がさめて、青空が広がっていると「ああ、いい気持ち。良かったなぁ。今日もいい日になりそう」と思う。朝のコーヒーがおいしくはいると、それだけでなんだか嬉しくなってくる。駐車中の息子の車に飲酒運転の車がつっこんできて、全損というほど車が変わり果てた時にも「けが人がなくて本当によかったなぁ。これで少しは夜間外出が減るかな」と思った。
いつの頃からか、良かったさがしがとても上手になった私。
当たり前のように過ごしている毎日の生活の中にも、幸せなことはとてもたくさんあって、それに気付きはじめたら、幸せな毎日がやってきた。以前と何が変わったわけでもない日々の生活。人は、心の持ち方でこんなにも幸せを実感できるのだなぁと改めて思う。
もちろん、困ったこと・辛いこともおきてくる。でもそれさえも、その中で得るものがあり 結果良かったなぁと思える能天気な私である。
毎日良かったさがしを続けていると、小さな幸せにたくさん恵まれていることに気付いて、そうした幸せな日々が毎日続いたら・・・きっと「幸せにあふれた素晴らしい一生だった。ありがとう」と言って死ねるかな。

4月26日
親子のこと
こどもは親を選んで生まれてくる・・・と以前何かに書いたら、「それは親のエゴだ」と反論されたことがあります。その方は親がこどもを自分の一部のように扱い、こどもの意志よりも親の思いを優先した子育てをするということに対して言われたようですが、私の思いは全く別です。
自分を信頼して、親として選んで産まれてきてくれたのだから、一生懸命 心を尽くし 知恵を絞って 立派に育てよう。育てさせてもらおうという思いなのです。 又、これは子宮の中で胎児が選ぶという意味ではなく、子どもの魂が 親の魂を選 ぶ。 親子の約束、夫婦の約束等をしてこの世に出てくるというような意味なのですが、 これは前世・魂・来世といったものを信じるということが大前提になりますから、あまり一般的な話ではないかもしれません。
 今日も父親が高校2年の長男を、母親が20歳の娘を殺害したという悲しい事件が報道されました。
そのどちらもが、明るくハキハキとした母親、きちんとあいさつも勉強も普通にできたという息子といった、幸せそうな普通の家庭で起きたということがとてもショックです。
家庭の事情も知らずにこの方達のことをとやかく言うことはできませんが・・・
親子であるからこそいろいろな思い・葛藤があることは二人の個性的なこども達を育ててきた私にも少しは理解できます。思春期になれば親を疎ましく思い、お年頃になれば親よりも彼が大切になる・・・そんな自然な成長も親としては耐えがたく思える時もあります。
しかし、その時々に こどもは自分のものではなくて、立派な別の魂なのだという思いが根底にあれば、また違った展開になるのではないかと思うと今回の事件はとても残念です。

4月27日
「くれない族」はやめよう♪
「くれない族」という言葉がはやったのはいつの頃だったか・・・。確かドラマの中で使われていた言葉だったと思う。
夫がかまってくれない。誰も私のことを振り向いてくれない、心配してくれない。・・・くれない。・・・くれない。
「くれない」という言葉がでてくる時は「○○してちょうだい、ちょうだい」という「奪う愛」の世界。心はとっても不安定。どれだけしてもらっても満足できない満たされない心。
今与えられているものの大きさ、多さに気付いて感謝の気持ちがあれば出てこない言葉だよね。
してあげたことは、やたら覚えているのに、してもらったことは
           あっという間に忘れちゃうんだよね。コレガ・・・」
byれいこ

4月28日
言葉の力
小さな頃、先生から「言葉は人を傷つけます」と言われたけれど、その時には本当の意味がよくわかっていなかったように思う。もちろん、自分自身も人から言われたことでショックを受けたり、悲しい思いをしたことはあるけれど、生きていく上で誰もが多かれ少なかれ経験することだと思っていた。そうしたことによって少しずつ精神が鍛えられるのかなぁなどと、脳天気に考えていた。しかし、これは単に私の感性が鈍かっただけではないかと今は思っている。そんな私だから、自分で気付かないうちに言葉によって人を傷つけてきたのではないかと思うと冷や汗ものだ。知らずに傷つけてしまった方、本当にごめんなさい。
心無い言葉は、人を傷つけ、時には人の命さえ奪ってしまう恐ろしい武器になるけれど、素晴らしい言葉、あたたかい言葉、愛あふれる言葉は人を癒し、勇気づけて、生かしてくれる最高の薬にもなる。
昔から「言霊」と言われるけれど、本当に言葉には大きな力がある。そのことを皆にも知ってほしい。
正しい言葉、愛ある言葉を語れる人になりたい。


4月29日ネットで広がった素敵な世界
15年位前に、パソコン通信をしたことがある私は その魅力に引きこまれそうになりながらも、いろいろな事情でどっぷりはまる前にやめてしまった。だから、インターネット・ホームページといった言葉が飛び交っていても(パソコン通信のようなものだろうなぁ)と勝手に思いこんで、新しい物好きの私にしては珍しく本格的にインターネットを始めたのはここ半年くらいだ。
しかし、思いもよらず自分でホームページを作って、ネットの世界に足をふみいれたことで 本当に驚くほど世界が広がった。
まず素敵な人達のなんと多いことか。本当だったら地理的にも、年齢的にも決して知り合うことのないであろう人達と、時を超え場所を越えて 知り合えてしまう。みんなそれぞれに、いろいろな人生経験の中から様々なものをつかんで、きらきらと輝いている。悲しみ、苦しみは人を成長させ 輝かせ、魅力的にするのだということを実感することの多い日々だ。
今私は、この素晴らしい世界を 私のまわりの人にも経験してほしいと 両親や姉妹、友人達にもすすめている。だから、彼らのような初心者がネットの世界で溺れないように、安心して見にいける 素晴らしいホームページをいろいろとご紹介している私である。
まずは私のページからスタートして広い広い素晴らしいネットの世界に泳ぎ出してくれることを願って・・・。 

4月30日
の〜んびりした休日
昨日は祭日。いつもなら「どこかへ行こう」という夫が ご近所さんと「タラの芽」採りへ。急に決まった話で、私は突然 たくさんの時間をプレゼントされた。
まずは、ゆっくりとコーヒーを飲みながらメールのチェック。Cross my mindを更新して お友達のホームページを見にいく。なんてのんびりとしたいい一日なんでしょう。
読みかけの本を読んで、書きそびれている予定を手帳に。遅くに起きてきた息子と食事をして、真っ青な青空の下を犬の散歩。風がとっても気持ちがいい。
夕方、夫からの電話。「たくさん採れたから、今からてんぷらにしてもらうよ。食べにおいで」
一緒に出かけたのは近所のおすし屋さん。こうして私はゆったりした一日を過ごさせてもらった上に、おいしい「タラの芽のてんぷら」にもありつけたのであった。

旅行の予定も何もないゴールデンウィークの第一日目。とってもステキなのんびりした休日。
神様ありがとう♪


5月 1日
下心のない親切はない?
連休前の込み合った銀行で女性週刊誌を見ていたら「下心のない親切はない」というテーマでおもしろおかしく書いてあるコーナーがありました。かと思ったら他のページには、雪の日に引っ越してきたばかりの年配の人に「雪かきのお手伝いをしましょうか」と声をかけたら「何が目的なの?お金なんて払わないわよ」と言われたとか。それでも黙って雪かきのお手伝いをしたら・・・。しばらくして「この前はごめんなさい。とてもうれしかった」とその人に言われて、自分もとてもうれしくなったという若い女性の話がのっていて、なんだかほっとしました。皆さんはどうお考えでしょうか?
私は、ニブイのかあまり「この人って下心があったのね」と思った経験がありません。あまりというかそんな経験をしたという覚えがないのです。むしろありがたいなぁ、うれしいなぁと思うことの方が多いような気がします。ですから「下心のない親切」ってあると思います。
困っている誰かに出会った時に 思わず声をかけ、手助けをする人達。何かをしないではいられない人。そんな人達がいることは信じられるし、人は本来 そうして『誰かのために何かができるとうれしい』という気持ちをもっていると思うのです。
自分が親切にしてもらって、本当にうれしかった経験をすると次は誰かの為に 自分ができることをしようと思うでしょ?そして「ありがとう」って言われるとそれだけでうれしい。そんな経験ありませんか?
人の親切を素直に感謝して受けようと思っていると、下心のある人は寄ってこないのかな?
それとも心から感謝した瞬間に「下心」って消えてしまうのかもしれない・・・

5月 2日
心を耕す
松谷みよ子さんがサンデーモーニングに出演され、『読み聞かせは心の母乳』ということを言われた。
また「イジメをした子に説教をしても効果はない。心にプツンと穴をあけて、心に向かって話をしなくては」とも。本当にそうだと思う。かたくなになった心にただ 教師や親の立場で説教をしてもきっと心ににも響かず、本人の気持ちも変わることはない。
「ぷつんと穴をあける」そうすれば、その穴からいろいろな言葉が、届くかもしれない。しかし私は 穴をあけるよりも、心を耕すことをしたい。小さな頃から心を大切にし、心やわらかな人に育てたい。
もちろん幼稚園や学校・ご近所のお友達といった社会に出て行けばいろいろなことがあるけれど、その時々に、こどもの心を大切にし、こどもの声をしっかり聞く耳をもっていたいと思ってきた。
童話の読み聞かせはあまりしてやれなかったけれど、この年になって童話の素晴らしさに気付いている。良さがわからなかったのは、きっと私の心がかたくなだったせい。
こどものころから、そんな素晴らしい童話を読み聞かせてもらって育っていけば、きっと穴をあける必要などない 豊かでやわらかな心の持ち主に育つことだろう。そんな人が増えてきたら きっと世の中もかわるよね。

5月 3日
心を鍛える
私達 誰もがもっている心。とても不思議で、とても素晴らしいもの。私達が生まれたときにもってきたものは きっと無垢なる心。何色でもなく、白紙の状態。それが生きていく上でいろいろな経験をし、硬い心、やわらかな心。強い心、少し弱い心、傷つきやすい心・・・。いろいろな心に育っていく。
やさしい心を持った人達は傷つきやすいことが多い。でもね、心って鍛えれば強くなるんだって。いろいろな経験は心を強くしてくれるの。だから ちょっとつらいかなと思ったら、「でもこれをクリアすれば また少し強くなれるんだな。私の心を鍛えてくれてるんだ」と思い直して、なんとかのりきってほしい。そうすれば知らないうちに心が強くなって、以前だったら傷ついていたことも らくらくクリアできる自分に気付く日がくるよ。
それにね、本当に強い心って限りなく優しい心であることも多いんだよ。
どんな心をもって あの世へ帰れるかな。心って無限に広く、無限に深くなるんだって。

5月 4日
正しく見るって難しい
お釈迦様がおっしゃった反省の方法に「八正道」というものがあります。そしてその中の最初が「正見」正しく見るということですが、これがなかなか難しい。私達は日々起こるいろいろな出来事を それまでの自分の経験や、その時の気分、思いで判断していきますが、本当に正しく見ているかというと なかなか出来ていないような気がします。
よく問題になることですが、学校で誰かが問題行動を起こしたとします。先生の信頼厚い優等生の場合には先生は「一体どうしたのだろう」と本人に話をじっくり聞こうとするでしょう。そして もし本人がそれを認めたとしても、本当は誰かに脅されたのではないか、そうした行動に至った原因があるのではないかなどと、その優等生をかばう見方をすることが多いようです。
反対に、いつも問題行動を起こしているような生徒の場合、仮に本人が自分ではないと否定しても、先生は「そんなはずはない」「嘘をついているのではないか」などと、まず生徒を疑ってかかるのがほとんどです。そして最後まで生徒を信じようとはしません。たとえ優等生が問題をおこし、問題児が無実だとしても・・・。
色眼鏡で見るということは、本当にそういうことなのです。そして色眼鏡で見た認識は やはり正しくありません。
私達は 自分に経験のないことはなかなかわかりません。つい、自分のものさしで判断し、批判したり勝手な思いこみをしてしまいます。しかし、何の先入観も持たず、白紙の状態で物事を見ることはとても大切です。
色眼鏡をはずし、より真実に近い見方ができるように 目も心も透明にしていたいものです。 そして、
一日の終わりには、「正しく見ることができたか」とその日一日を振り返ってみたいと思います。


5月 5日
こ・ど・も
今日は「子どもの日」たくさんのこどもたちが 幸せな一日をおくれたのならいいなぁと思いながら・・・。
私は20年と約11ケ月で母親になりました。初めてのこどもをこの世に送り出した時の あの不思議な感動と、幸福感を今もハッキリと覚えています。これは、男の人が父親になる感覚とはきっと全く違うものなのかもしれません。
私なりに、親としての自覚もあったと思うし、子どもの為にどうするのが一番よいのかなどと一生懸命に育ててきたつもりだけれど、今思うと弱冠21歳のヤンママに育てられた長男は災難だったのかもしれないな。息子はその時の私の年を越えた。
こどもが育つと共に、悩みも大きくなる。形を変えて、次々と親の私達を試すかのように難題が押し寄せる。その都度、悩み考え、乗り越えてきたことは全て良い経験となって、私達を育ててくれた。
親として自信がなくなることもある。でもね、完璧な親なんて世界中探したって、どこにもいない。あのお釈迦様でも父親として考えたときにどうだったのか・・・。
確かなことは、こどもが私達を親として選んで生まれてきたということ。貴方を立派に育てるからねと約束をしてきたということ。私はそう信じています。
立派でなくてもいい。お金持ちでなくてもいい。ただ、知恵をつくし、心を尽くしてこどもとかかわっていけるといいなぁと思う。
生まれてきてくれてありがとう。「子どもの日」は 私達を育ててくれたこどもたちに感謝する日。

5月 6日
「運命を逆転する方法」その1
悩みの中でおぼれそうになっている貴方へ、悩みを解決して丘へあがる方法をご紹介!
貴方には今いくつの悩みがありますか?まずそれを書き出してみましょう。
そしてごちゃごちゃになった悩みを、他人の目で冷静に見つめてみるのです。何が問題なのか。感情的に悩んでいるだけではないのか・・・と。 次に悩みを分類してみます。今すぐに解決できること、時間がかかること、自分で解決できること、自分ではどうしようもないこと・・・。
今スグに自分でできることがあれば、その方法を調べてさっさと片付けましょう。自分にどうしようもないことや、時間がかかることは ひとまず棚上げして 悩むことをやめるのがいいですね。
問題をかたづけるにあたっては、優先順位を考えることも大切です。まず一番重要なことから解決していく。いくら自分にできることからと言っても、重要なポイントをはずして、雑用ばかりしていては根本原因が解決していないわけですから、悩みはなくならないでしょう。
優先順位を決めて、その根本原因を細分化して 感情的にならずに、冷静に、できることから解決していく。これでたいていの悩みは いつかなくなります。ぐるぐると同じ場所で悩んでいないで、少しずつ浮き上がってくることです。
そして、一度解決する方法を身につければ 次からは同じことでは悩まなくなります。それだけ貴方に問題解決の実力がついたとうことですね。
さぁ、悩みを冷静に見つめることから始めてみましょう。この続きはまた明日♪