Cross my mind 58 2001 7.1 to 15
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| 7. 15 | 拝啓 外務省のお役人様 外務省役人という この世的には誰もが羨む名誉ある職についておられる皆様の中に、子どもでもしてはいけないとわかるようなことを 平気でなさる人がいることに 怒る気も失せ、本当に悲しい気持ちで一杯です。昨年 機密費の私的流用が露呈し、そのようなことができてしまうシステムにも仰天しましたが、それは 皆様方が、きちんとした倫理観をもち、よもや そのような不正を働くはずがないという信頼と、そのようなことをする人間ではないという 皆様方の良心をかわれてのことだと思っておりました。そこに 九州・沖縄サミット時のハイヤーの水増し請求分着服のニュース。機密費の時と同じく、その不正流用のおこぼれに預かっていた人達がいたということが また情けない話だと思います。真のエリートとは その人間性において、神の如き、知恵深く、不正を許さず、人々の為に 自分の能力を惜しみなく提供できる方々のことだと思っております。それ故に 報酬も高く、人々の尊敬を集めるのです。それなのに、裏金を作る、もしくは税金である機密費を着服するなどという卑しいことができてしまうとは 一体どうされたのですか?「外務省は伏魔殿」とは 田中外務大臣の弁ですが、あなた方の心の中に、知らず知らずのうちに その魔が忍び込んでいるのではないでしょうか。 日本の顔ともいえる外務省のお役人様、たとえほんの一部の人が為した罪だとしても、そうしたことをさせてしまったことは 自分達の恥であるという自覚をもっていだきたいと思います。そして 本当に尊敬される人が リーダーになる国とするために、今一度 ご自分の心の内を見つめていただき、国のリーダーとしてふさわしい人となって ご自身のお役目を果たしていっていただきますよう、よろしくお願い致します。 敬具 |
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| 7. 14 | 自分で伝えたいね 昔は 夫婦喧嘩をすると 相手に直接言わないで、仲人さんのところに話しに行くことが普通だったそうです。自分達の問題を 全く関係のない第三者に訴え、解決をゆだねるというのは私には信じられないのですが、夫婦のことに限らず、嫌なことを 直接言うと失礼だとか、人から言ってもらった方がいいというのは 日本のおかしな慣習のひとつだと思います。そんなことから、困りごと、お叱りごとといった 嫌なことほど、他の人の口を通して伝わることが多いようですが、これは 何の解決にもならないばかりか、かえって話がこじれる原因にもなります。たとえば誰かと話をして、笑顔で別れて帰って来たら 他の人のところに苦情の電話が入っていたとしたら嫌ではありませんか?自分としては思ってもみなかったこと、お互いの話の中では 話題にものぼらなかったことを 突然第三者から言われたとしたら、驚きもします。そしてそんなことが続けば 人間不信になっても不思議ではありませんね。それを陰口と言うと思うのですが、言いたいことは 手紙でも口頭でも やはり自分の責任において 直接相手に伝えることが 本来の姿ではないかと思います。そうしたカルチャーが育っていけば、日本の社会も もっと風通しが良くなるのではないでしょうか。相手に直接言わないというのは 一見優しさのようですが、実は それを言うことによって その場の雰囲気を壊したくないとか、相手に嫌な人だと思われたくないという 自分可愛さの思いがあるのではないかと思います。二度と会えない人の場合はともかく、長くつきあっていく関係ならば やはり自分の思いは、素直に直接伝え合いたいですね。 |
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| 7. 13 | 電子メールで 心伝わりませんか? 最近 新聞の投稿欄等で 電子メールのことがよく話題になっていますが、「電子メールは、心が伝わらないから やはり手紙がいい」という 手書きの手紙賛成派がその大半を占めているようです。 これは多分 電子メールで心が通じたと感じる体験をしている人が少ないからでしょうね。確かに 広告メールやビジネスメール等 何の心も伝わってこないものもありますが、それはダイレクトメールという封書でも同じではないでしょうか。私が受け取る電子メールからは 書き手の喜び、悲しみ、怒り、苦しみといった 実に様々な思いが伝わってきますし、その行間から 光を感じ、こころがあたたかくなり、涙することさえあります。会ったこともない人の幸せを共に喜び、相手の辛さ悲しさを思って 泣きながら読んだこともあります。私が、人間とは本当に 魂の奥で皆つながっている存在なのだなぁということを確信できたのも この電子メールのやり取りの中で多くの体験をさせてもらったからだと思っています。綺麗な便せんを選び、好きな色のインクもって 手紙を書く……。そうした 手紙も素晴らしいと思いますが、より多くの人に 早く 思いを届けることのできる電子メールも とても便利で良いものだと思います。心を伝えるのは 電子メールか手紙かという方法の違いではなく、やはりどのような思いを伝えたいのかという 自分自身の「心のあり方」ではないでしょうか。電子メールで心が伝わる素晴らしい体験を もっと多くの方にもしていただけたらいいなと思います。 |
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| 7. 12 | 多くの人に支えられて…… Cross my mind をエッセィ集にして出版という夢のような話は、Dream book club という 夢のような出版サイトに出会って、一気に現実化してきました。何事も挑戦!まず こちらのサイトに1999年分を公開してみようと決心しましたが、そこで困ったのが 原稿にする文章の選択。自分で選ぼうにも すべてが自分の思いであり その選択はなかなか難しそうです。そこで 自分以外の人にお願いした方が良いのではないかと思い、11日に 友人やネットでご縁をいただいた方に お願いのメールを送信しました。その結果 わずか2日の間に 11人の方の協力を得て、1999年の約11ケ月分の原稿の選別を お願いできました。本当に有りがたく、夢のようなスタートです。考えてみれば Cross my mindは ネットを通して読んでくださる皆様に支えられて育ってきました。三日坊主で日記を書くことが続かない私が、休むことなく続けてこられたのは、やはり読んでくださった方の 一言一言が励みになっていたからだと思います。そして その日記が 今 皆さんの目でその文章を選別され、ネットで公開し、ネットで支持をされて 書籍になる可能性がある……。本当に 最初から最後まで多くの人のお世話になって 物事が進んでいくのだなぁと実感しています。私達は 日常のすべても こうして 多くの人に支えられて暮らしているのですね。そのことを忘れずに日々感謝して 生きていきたいと思います。本当にありがとうございました。 |
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| 7. 11 | 悩んでいいこと、仕方のないこと 家庭のこと、会社のこと、サークルや社会活動の中でのこと……。毎日 あちこちで 様々なことがあり、そうしたことで悩んでいる人も きっと多いのだろうなと思います。しかし、何故こんなにも 自分を責めて 一人苦しんでいる人が多いのでしょう。どう事情を聞いても 「それは貴方が悪いんじゃないよ」と言ってあげたくなるようなことで 自分を責め、心を固く、小さくしてしまっている人を見ると どうしたらその悩みから 気持ちを開放してあげられるのだろうと こちらが思い悩んでしまいます。これが日本の教育の中で育てられてくる精神なのかと思うと 非常に残念です。もちろん 人生は「自己責任の原則」があると思いますし、自分のこころが変われば まわりの人や環境が変わってくるということも本当です。また、自分の方にも 悪いところがあったのではと省みることは必要だと思いますし、自分に原因があったとしたら 反省も謝罪も大切なことでしょう。しかし 会社の取引先が倒産したとか 自分の友達同士がトラブルを起こしたとか、家族の中で 少し反発しあっている人がいるとか……。そうしたことまで 自分のせいだと考えて悩む必要はないような気がしませんか?私自身 夫と思春期の息子の仲が あまり良くなかった時には、悩んだこともありますが、私が彼らの関係を心配して なんとか仲をとりもとうとしていた時よりも、私が悩んでも仕方のないことだと気づいて、私と夫、私と息子の関係を良い状態にしようと決心してからの方が、家の中の空気が明るくなったような気がします。そして今では その頃のことが嘘のように ふつ〜の親子関係です。こうしたことって 結構あるのではないでしょうか。時には 悩み苦しむことも必要でしょう。でも 悩んでも仕方のないことは やはり青空の彼方にでもほおリ投げて 毎日を幸せだと思って過ごして欲しいなと思います。 |
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| 7. 10 | 素直なこころで 「こころ」は 目には見えませんが、こころの状態を表す言葉はたくさんありますね。まずは心を開く、閉ざす。こころをひらいている時というのは 本当に素直に自分の気持ちを出せますし、相手の思いも素直に受け入れることができます。こころが通じていると感る時は きっとお互いに心がひらいているのでしょう。反対に 心を閉ざしている状態というのは、自分の思いを表現することもなく、誰が何を言っても受け入れない、こちらがどんな思いを発しても跳ね返されてしまうような そうした硬くなさを感じます。又 頑固な人は 頭も固いけれど、こころも固いという気がしますし、柔軟なこころをもった人は やはり考え方も柔軟ですね。こうしたことからも こころのあり方が その人の言動や、現われてくる現象等 すべての中心にあるということを 何となく感じていただけるのではないでしょうか。 人生にはいろいろなことがあるのが当たり前、何事もなく順風満帆な人生を送る人はまずいませんし、またそれが本当に幸せなのかどうかも疑問です。ただ どんな時も 素直なこころで感謝の思いを忘れなければ、人は いつも幸せを感じて暮らしていけるのではないかと思います。素直なこころというのは 心に壁を作らないことかもしれませんね。こころに壁がないと、初対面の人と話をしていても 不思議と相手の思いが伝わってきて こころが通じると感じる話ができます。そして この心に壁がない状態が、多くのインスピレーションを受けることのできる最良の状態なのではないかと思うこの頃です。『素直なこころで生きる』その1つを戒にして生きていくだけでも きっと幸せな人生が展開していくのではないでしょうか。 |
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| 7. 9 | 必ずわかってもらえるよ 一緒に仕事をしていた仲間や お世話になっていた人、親しかった人と気まずくなるというのは 本当に悲しいことですね。特にそれが 何か悪いことをしたというよりも、お互いの価値観の相違でこじれたような場合には、理解しあうこと自体が難しいので、何ともやるせない気持ちがします。お互いに「仕方がない」とあっさりとできれば良いのですが、どちらかの人が、相手のことを中傷したり 陰口を言って回ったりすると 話は更にややこしくなります。そしてまた こうした陰口に限って 聞きたくもないのに耳に入ってくるから 人間関係のトラブルは絶えないのですね。こんな時 自分の心を平静に保ち、ストレスをためないで暮らしていく秘訣は『わかってくれる人は必ずいる』と信じて、自分が相手と同じ土俵に上がって 悪口を言い返したり、言い訳をしたりしないことではないかなと思います。つい 事情を知らない人に誤解されることに耐えられなくて 自己弁護をしたくなるのですが、何の根拠もない中傷であれば、人は必ずわかってくれます。悪口を言う人と言われる人、どちらに非があるか 心ある人の目から見ればすぐにわかることですし、時間がたてば 必ず明らかになります。ですから、そうした言動をしてまわる相手を恨んだりしないで、そんな時こそ お世話になっていた頃のことを思い出して感謝の思いがあったかどうか、本当に 誤解されるような言動が自分自身になかったかどうかを 省みることができれば 大きく成長できるチャンスになると思います。真実は必ずわかってもらえる日がくるのだから……。 |
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| 7. 8 | 正しきものは 強くあれ テレビ「知ってるつもり」で 不況に喘ぐ数多くの会社を再建し、84歳という高齢で、日本政治の構造改革という大役を引き受けられた「土光敏夫」さんのことを取り上げていました。土光さんが目指した「聖域なき構造改革」は、現在の小泉内閣が目指していることと あまりにも似ていて、今こそ 国民が本当に国の将来を考えている人を支持して、少しの痛みは覚悟の上で、輝く未来を子どもたちに残していかなければと思います。土光さんも本当に素晴らしい人でしたが、70歳を前にして 「日本を託す立派な子どもを育てるのは母親だから、女子の教育こそが大切」と みんなの反対を押し切って 女学校を作られた土光さんのお母様は 「その母親にしてこの子どもありなんだな」と感じさせられるほど 見事な方でした。「自分が死んだ時に香典をくれるなら いまその分を寄付してほしい」と親戚や知人のところを訪ね、資金を調達して わずかの間に女学校を開校されたのは 本当に日本の将来を憂い、無私なる思いがあったからこそだと思いました。そのお母さんが 石碑に残されたのが、「正しきものは 強くあれ」 正しいことがその時代の中で、必ず陽の目を見ることはないかもしれません。現に土光さんが成そうとしていた構造改革も 国を思えば正しかったはずなのに、挫折してしまいました。しかし、正しきことは いつか時代がそれを証明してくれます。ですから、どんな時も 正しきものは強くあって欲しいと 私も思います。心に愛があり、無私なる思いで 正しきことを貫こうとした時、人は強くいられます。そして 誰が認めなくとも、神様はすべてご存知。そう生きられる人こそが 本当に幸せな人なのだということを 土光さんのお母様は きっとご存知だったのだろうなと思います。 |
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| 7. 7 | 愛しき人達へ この世に生まれて44年と半年。本当にたくさんの人達との素晴らしい出会いがありました。いろいろな体験がありましたが、そのひとつひとつが大切な心の宝ものであり、まだ見ぬ人も含めて 縁あって出会った方を愛しく思うようになりました。7月7日というこの素晴らしき日に 愛しい皆様方にお伝えしておきたいことがあります。 2600年前、インドの地にお釈迦様がおりられ悟りへの道を、2000年前にはイスラエルの地に イエス・キリストがおりられ愛の教えを説かれ、それが仏教やキリスト教となって 後世の人々の心をも救ってきました。そして、時代の流れと共にその教えが救済力を失い、宗教そのものの価値が現代人にわからなくなっている今、地球規模のユートピアを創り、3000年の後の人までをも救う為に 新たなる教えが説かれています。信仰を原始的なものとあざ笑い、宗教を金儲けだと公言してはばからない知識人と言われる人達の影響で、信仰の素晴らしさに気づく素直な心をもった方々が少なくなっている為か、気づいていない人も多いのですが、現代は 釈迦やキリストが生きて教えを説かれていたのと同じ、いえそれ以上に素晴らしい「奇跡の時代」なのです。仏教では 仏陀の転生に出会うは 3000年に一度咲く優曇華の花を見る如くに難しい。盲目の亀が穴のあいた浮木に辿り着き、その穴から頭を出す如くに難しいことといわれています。まさに今がその時。そうした時代に生まれながら、このユートピア運動に参画することなく この世を去ったとしたら どれほど後悔することでしょうか。「そんなこと信じられない」と言われる方も多いでしょう。しかし、パンドラの箱をひっくり返したような闇が暗躍しているような時代の中、人間が苦しんで生きている様を 仏神はいつまでもただ沈黙して見ておられるでしょうか。救世主は2000年、2600年前だけにしか 存在しなかったのでしょうか。地球の裏側の様子が自宅で見られるようになった今だからこそ、地球規模のユートピア建設を目指すことが可能であり、テープやビデオ、書籍があるからこそ3000年の後でも教えを正しく残していけるのではないでしょうか。 まだ目覚めぬ人達へ。自らの魂修行という目的の他に、ユートピア建設という使命があったからこそ この奇跡の時代に生まれてきたのだということを どうか思い出してくださいね。 |
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| 7. 6 | 相手は鏡 新らしく知り合った人達の中には 「あの人はこういう人だからね」と 前もって他の人のことを 親切に?教えてくれる人がありますが、そうした時の情報は あまり良くないことの方が多いですね。そして、そのことを間に受けて付き合い始めると なかなか打ち解けることができず、トラブルにつながることも 多いような気がします。また 実際に付き合ってみると 人から聞いていたことと随分違う場合もありますし、どんな場合でも 他から得た情報による先入観というのは 「百害あって一利ナシ」のような気がします。それよりも「相手は自分を映す鏡」だと思って 自分が相手に対してどのような思いで接しているかに気をつけて 自然体で付き合うのが一番 楽でよい関係を作れるのではないかと思います。どんな人にも いろいろな面があります。それは 多重人格だとか裏表があるということではなく、人間というのが 本来様々な魂の傾向性を秘めている存在なのです。ですから、誰かに対して、鬼のような顔をする人であったとしても、赤ちゃんの前で仏様のような笑顔を見せることだってあるのが普通です。大切なことは 相手の素晴らしい所を引き出せる自分、見出すことのできる自分であるかどうかではないかと思います。もし「嫌な人だな」と思った時に、「相手を嫌な人だと思っている自分がいるんだ(ひらやま れいこさんの言葉より)」と 気づき、その思いをすぐに修正できるような心境を維持できたなら、きっと人間関係の悩みは 跡形もなく消え、素晴らしい人間関係の中で、成長し続けていくことができるのではないかと思います。 |
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| 7. 5 | 2000キロの旅 湯布院、安芸の宮島、四国は鳴門を巡っての2000キロの旅は、生涯忘れられない3日間となりました。夜空には月が輝き、空には雲ひとつなく陽の光が眩しいほどに射し、緑豊かな湯布院の山々は 今まで見た中で最高に美しく、日本中が今年最高の暑さの中にいたことも知らない程、快適な二日間でした。四国の海は穏やかで優しく、新たな素晴らしい出会いを得て、思い出は増えるばかり。車で湯布院というと 誰もが驚きますか、自由に移動ができ、いろいろな話をしたり 素晴らしい景色を眺めたりしながら 家族や縁ある人達と同じ空間や時間を共有できる幸せは何よりで、私は大好きです。それに いつも天使の応援があるお陰で、渋滞もほとんどなく 何もかもがタイミングを計ったように調子よくすすみ、快適な旅をすることができます。*^o^* 今回は特に、両親や夫が 妹や私と共に信仰の道を歩もうと決意を固めてくれた記念すべき旅となりました。人生の幕を下ろすときに 「いい人生だった」と言える生き方とは いったいどのような生き方なのか、自らの心と静かに向き合い、考え、どのような環境に生きたとしても「人生に勝利する」ことができるのだという確信をもてたことは 本当に幸せなことだと思います。偉大なる仏神に対する畏敬の念を忘れず、感謝の思いで心を満たし、確固たる信念を、断固として貫く姿勢をもって自助努力するところに 必ず差し伸べられる他力の力。自らの決意、念いを持続させ、最高に魂を発展させることをもって 人生に勝利していきたいと思います。 |
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| 7. 4 | 人生計画書 2 友人で 自分の「人生計画」なるものの一部を知らされた人がいます。聖なる磁場の中で研修を受けていた時のこと。守護霊なる存在からそのことを知らされ、自分が悩んでいたことが いかに小さなことで、本来考えるべきことは何か、目指す方向はどちらの方なのかを明確に知らされ その後大きく人生が変わりました。その時の内容を メールで知らされたときの感動は今でも忘れません。私達地上に生きている者に より良い人生を送って欲しいと見守っている守護霊の思い、願いが心の底まで沁みてくるような気がしました。私にも こうした思い出見守ってくださっている存在があるのだと思うと、いい加減な生き方はできないと つくづく感じました。できることなら私も 自分の人生計画を 少しでも良いから教えてほしいと願いましたが、明かされる様子もなく、わからない中で 自分の真の生き方を求め 努力していくところに また大いなる喜びがあるのだろうと思っています。それに 人生計画を知らされた人には、知らされた者としての別の使命も きっとあるのでしょうね。 視点を変えて 今の自分ならどのような人生計画書を書くだろうかと考えてみることにしました。これから 天国から地上に降りようとしている天国の住人としての自分の目から、今の環境にある自分自身を見たなら どのような生き方をしたいと願い、どんな人生計画をたてるだろうかと考えていくと やりたいこと、しなければならないことが 少しずつ見えてくるような気がします。これが 徐々にハッキリとイメージされ「かくあるべし」という 自分のあるべき姿を思い浮かべることができるようになったなら その「新たなる人生計画書」に基づいて 生きていくのも より良く生きていくひとつの方法かなと思ったりもします。人生計画書作成中……。 |
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| 7. 3 | 人生計画書 1 人間はどこから生まれてきて、死んだらどうなるのか。自分は何をするために生まれてきたのか。今のままの行き方でよいのだろうか。そうした「生きる事についての疑問」を最初に感じたのが一体いつのことだったか 今では思い出せませんが、こうしたことというのは 学校で先生から教えられることもなく、話題に出ること自体が本当に少ないですね。そして 様々な事件が多発している今、子どもたちに そうしたことを問われて、ハッキリと自分の意見を答えられる大人は 一体どれほどいるのでしょう。 以前 「生まれてきただけでいいのだ」と書かれたものを読んだことがありますが、ただ 何の目的もなく生きて、死んでいくだけの為に この世に出てきたとは 私には到底思えません。お釈迦様は 人生における苦しみを「四苦八苦」と説かれました。どんな人の人生にも、喜びも悲しみも、そして悩みも苦しみもあるということが前提ならば、それがわかっていて、あの世から出てくるのですから、この地上というのは 魂の進化にとって 本当に素晴らしい環境なのだろうと思うのです。ある書籍で「生まれてくる前に、人生計画書なるものを作成し、自分で納得をして その問題集を抱えてこの地上に降りてくる。」と学びました。それが正しいのかどうか、人間心で証明することはできませんが、そうした考え方を受け入れることができると、生きることに向かう心構えが 何となく違ってくるような気がします。私はどんな人生計画をたて、どんな問題集を抱えて生まれてきたのか……。たとえ一ページであっても 見てみたいなぁと思う私です。 |
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| 7. 2 | 自我 最近 「自我を確立することの大切さ」というものが もてはやされているような印象を受けるのですが、その結果なのかどうか、自我がぶつかり合って、不調和がおき、不幸への道を歩んでいる人が多くなってきたような気がします。「本当の幸せを得る為に 自我を確立しましょう」と言われながら、不幸を嘆いている人が増えていく現実。それは この「自我の確立」というのが どこか間違って解釈されているからではないでしょうか。「自我」を「個性」だと捉えている人もいるようですが、私達はもともと違った個性をもった魂です。ですから、その個性を輝かせ、生かしていくことは大切でも 無理やり確立するものではない。まして我を強くするということは 本来の素晴らしい自分から遠ざかることではないかと思います。仏教では「無我」を説かれています。「無我」とは 自分の意識を無くすことではなく、表面意識ともいえる「自我」の部分をとりはらっていって、本来の姿である「魂」の部分に気づいて生きていくことではないかと思います。本当の自分に気づく……。それは 簡単なようで実はとても難しいことです。何故なら 肉体に宿っている私達は、自分が 肉体と共に生き、肉体の消滅と共に消えてなくなる存在だと勘違いをし、本能のままに生きることを素直に生きることだと思ってしまうことが多いからです。この一番大切な根本のところを知らないで生きている人が どれほどいるのでしょう。逆に このことさえ信じることができたなら、人生に対する考え方、視点が変わり、一日にして運命を逆転させることも可能だと思います。本当の自分探しの道、本当の幸せへの道は この大切なことを信じ、受け入れるところから始まるのではないでしょぅか。「自分は自我のままに生きているのではないだろうか。」そうしたことを振り返ってみる幸せな時間が 多くの人に与えられますように。 PS.今晩から5日夜まで留守をします。メールをくださる方は、こちらへ お願い致します。 |
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| 7. 1 | 娼婦ベロニカ 偶然つけたWOWOWで「娼婦ベロニカ」を 途中から見ました。以前 翻訳を手がけている友人の推薦で ビデオを借りて見たことがあるのですが、ベネチアに「高級娼婦」という言葉があった時代に、母親の勧めで 娼婦として生きる道を選択した実在の女性詩人を描いた映画です。江戸時代の花魁を思わせる「高級娼婦」。男性の所有物のように扱われる彼女達が 唯一図書館に入ることを許され、最高の教育を受けることのできた女性であるという時代があったということに驚き、また、娘にそうした生き方を勧める母親の気持ちというのも 理解できないのですが、いろいろな意味での人間の愚かさ、逆らうことのできない時代の流れの中を生きる哀しみ、人間としての尊厳、真の勇気、等 思うことがたくさんありました。これだけの時間で 一人の女性の姿を描ききるには 少し無理があるようにも思いますが、今とはまったく違う時代の中で、精一杯生きた女性と、彼女に関わった人他との思いの中に、学ぶことも多いような気がします。映画の原題は「A Destiny of Her Own 恥ずべきことのない人生」。同じようなテーマを扱った邦画とは 一味違う作品に仕上がっていると思います。詳しく書いてしまうと面白みが半減しそうなので この辺で……。教えてくれた友人に感謝! |
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| 2001年 | ||||||
| Miracle | Miracle Days |
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