Cross my mind 56  2001 6. 1 to 15  

                        毎日の生活の中で思い浮かんだ さまざまな事の中から・・・   since'99 2. 7                                                                             

                                                                            
6. 15

知は信の一部
卑弥呼を始めとして、昔の人達は 政治をも「御神託」というあの世からのメッセージをもとに判断し、仏神の存在、この世ならざるものの存在を信じていました。それがいつのまにか、「信じることより知ること」に重きがおかれるようになり、現代では 全てのことは分析し、解明して知ることができると考える人の方が多くなっているような気がします。彼らは いまだに解明できない世界については その存在を認めることさえしないで、そうした世界を「信じている人」を 知的レベルが低いと見る傾向さえあり、某大学の教授の発言からも そうした思いがストレートに伝わってきますが、本当にそうでしょうか。私は、まず「信」があって、その「信の世界」が少しずつ解明されて 知の世界へと移行してくるというのが 真実ではないかと思います。宇宙、霊界、心の神秘等 科学的に解明されていないことは まだまだたくさんあります。人間は全てを知ることができると思うほど傲慢なことはありませんし、解明できない世界はないと結論付けるのはあまりにも 愚かではないかと思います。ただ それを証明するには 目に見えない世界を信じる、信じることができる人達が、実務能力を磨き、社会で最高に成功、発展していくことが大切だと思います。「知は信の一部」。信の世界に生き、いろいろなことを学び、知りながら 日々暮らしていきたいですね。 

6. 14 ミューズの愛
東京から帰る新幹線の中で、三村和子さんというピアニストのエッセィ「ミューズの愛」を読みました。サブタイトルは「音楽の美と知をあなたに」 天使が描かれたとても素敵な装丁と、タイトルに惹かれて買ったのですが、読み進んでいくうちに 彼女が織り成す美と知の世界に すっかりひきこまれてしまいました。
「音楽は 天国から降ってきた宝石の粒のような雨のよう……。」なんて 素敵な表現でしょう。少しばかりピアノを教えていた当時の自分の意識が 恥ずかしくなるような思いがしました。音楽の美しさと それを奏でる人の人間的魅力、その器を広げる努力……。自分に厳しく、そして 音楽を始めとして 美しいものをこよなく愛している日常があふれ出てくるようなエッセイでした。芸術家の方々は 感性がするどく、こころの波動は精妙で、とても霊的な人が多いような気がします。彼女はその上に、知的好奇心、探究心も旺盛で 自らの知的レベルと精神レベルを バランス良く引き上げていける人だという印象を受けました。愛に満ちたこころで まわりの人に感謝し、自らを高める努力を惜しまない彼女が奏でる世界は きっと 誰もが天国を感じるような素晴らしい世界ではないかと思いました。彼女のエッセィを読んでいるだけで 心が浄化されていくような気がした2時間。書籍を通して素晴らしい人に出会えるって 本当に幸せですね。
6. 13 無我
お釈迦様は『無我』を説かれました。そのことを 「我がないというのは つまり自分がない。だから 人間は死んだら何もかもなくなるのだ」と とんでもない解釈をして「無霊魂説」を教えている仏教学者がいるようですが、本当に情けないことだと思います。お釈迦様の様々な説法は あの世があり、人間は転生輪廻を繰り返しながら生きている存在であることを示しています。逆に そのように考えなければ、世の中はつじつまの合わないことばかりです。それでは 「無我の境地」とは一体どのような心境を言うのでしょうか。先日 ある女性から『「無我」になっている時は 自分のことを考えてはいません。無我なる心境を体得する為には 人の幸せを願う時間を多くもつことです」と教えていだきました。他の人の幸せを願い、その人のために 自分に何ができるだろうと考えている時、そこに自分に対する思いはありません。それこそが 無我ということなのでしょう。そして「無我なる愛」とは 自らを可愛いと思う私心なく、100%相手の為を思って 愛することなのだと思いました。
無我になれる時間を少しでも多くもてるようになれるといいな。純粋で透明な心で日々暮らしていけたらいいな。そんなことを思い続けた一日でした。日々 何事もなく 家族と共に無事暮らせることに心から感謝します。
6. 12 こころと身体
ものすごい心配事があると 一日で胃に穴があくと言われていますが、こころと身体には 本当に密接な関係があります。ですから、病気になった時には、治療方法だけを考えるのではなく、そのようになった原因を こころの部分にまで範囲を広げて探してみることが大切だと思います。人は 自分の好きなことをして 気持ちが充実している時には、少々無理をしても病気になることはありません。もちろん、徹夜続きであるとか、食事をとる暇もないといった 滅茶苦茶な生活は 身体を壊す原因となりますが、多くの場合は 超人的に健康な状態で暮らすことが可能な気がします。問題は、こころが望んでいないことをしているような場合ですが、そうした時には、すぐに風邪をひいたり、一度ひいた風邪が なかなか治らなかったり、原因は不明なのに 何となく体調が悪くなったりするようです。点滴をうちながら 頑張り続ける人もありますが、そのような時には 一度じっくりと自分の生活を見直してみると良いのではないでしょうか。病気はこころのSOS。こころの力は 間違った思いで生活をしている人に、そのことを気づかせようと 肉体を病ませることさえあります。日頃の健康に感謝し、食事、睡眠、適度な運動、無理をしすぎない仕事等 健康生活を心がけ、さらに 毎日こころが喜ぶことをして暮らすこと。それが、病気とは無縁の日々を過ごせる秘訣ではないかと思います。
6. 11 自己評価
「自分に自信がない」と消極的になっている人と話をしていると 自己評価がとても低いことに気づきます。その原因の多くは 「あの人は素晴らしい。この人も素晴らしい。それに比べて私は……。」という思考回路で 他の人と比べて 自らの評価を低くしてしまっているような気がします。しかし 多くの場合、本人が思うほど差があるわけではなく、むしろ そうした思い込みによって せっかくの自分の能力を伸ばす機会を失っているように思えて とても残念です。私は、人の評価は あまりあてにならないと思っていますし、他の人と比べて落ち込んでも 仕方がないなぁと思っています。素晴らしい人は世の中にたくさんいますから、いちいち落ち込んでいたらキリがありません。それに 自分のことを一番良くわかっているのは 自分自身ですから、正しく評価できるとしたら それは自分自身ではないかと思うのです。また もし誰かと比べたいのなら 過去の自分と比べてみればいいと思っています。大切なのは 自己を高めていこうと努力していく姿勢であり、それさえあれば少しずつでも 必ず成長していきます。そして 過去の自分から成長した姿を正当に評価し、これから成長するであろう自分を楽しみにすることができれば 「私も結構やるじゃない。今の自分の方が好きだな」な〜んて 自信は自然についてくるような気がします。自己評価、正しくできていると思いますか?
6. 10 祈願
神社にいけば、「家内安全」「病気平癒」「経済繁栄」「交通安全」「合格祈願」等 本当にいろいろな「祈願」があって 宗教に関心がない人であっても 一度も祈願をしたことのない人の方が少ないのではないかと思いますが、この 『祈願』について 皆さんはどのように考えていらっしゃるのでしょう。困ったときの神頼み的に お願いをしておけば安心と思っている人が多いのではないでしょうか。もし 貴方が神様だとしたら 「病気をなおしてください」「交通事故から守ってください」「商売を繁盛させてください」などと、なんでもかんでも「お願いします。パンパン!」と お願いごとばかりする人に対して、どのよう感じると思いますか?私は以前 「祈願はお願いすること」だと考えていたので、「奪う愛」のような気がしてなかなかできず、「おかげさまで」と感謝の思いを顕すことしかできませんでした。しかし、祈願というのは ある意味で「誓願」なのだということに気づいたら「もっと お役に立てる為に健康をお守りください。経済繁栄させてください」という 私心のない祈願ならば、むしろさせていただいた方が 神様が喜ばれるのではないかと思えるようになりました。『祈願』は 自分のあり方を振り返り、さらにお役に立てるよう頑張りますと 誓願できるうれしいひと時です。こうした思いをもてることの幸せを感じると同時に、「祈願の喜び」を 一人でも多くの方に知っていただけたらいいなと思います。
6. 9 正しく見ることの難しさ
二日続けて 信じがたい悲しい事件です。今度は 小学生が友達を刃物で刺してケガをさせた上に、あたかもそれが他の人の犯行であるかのように偽証し いつもと変わらぬ様子だったとのこと。子ども達を取り巻く環境に一体何が起きているのでしょうか。今回の事件で 特に心配なのは、「人間不信」です。仲良しだと信じていた子に突然ケガをさせられる……。刺したほうの子は いつもイジメられていて 当日も何度か殴られたので やり返したと話しているそうです。それが本当なら ケガをした方の子にも何らかの心当たりはあるかもしれません。ただ、まわりの人には いつも一緒で仲良しの友達だとうつっていたようですから、実際に イジメがあったのだとしたら、親も含めてまわりの人の見方は正しくなかったということになります。いじめられている子のSOSを 誰もが見落としていたということになるでしょう。私達は 様々なことを注意深く見ているようでも 実はこのように正しく見ていないことがたくさんあります。不登校、イジメについても 子ども達のSOSにもっと早くに気づき、最適な道を選んでいたなら 事態を悪化させないですんだということも よくあるようです。人の裏を読めというのではありません。ただ、人が行動に出したくても出せないこと、言いたくてもいえない 行動や言葉の奥にあることに こころを配るということは大切なのではないかと思います。今回の事件がきっかけとなって 多くの人達が お互いを信頼して本音を出し合い、不安定になりがちな子ども達の様子を正しく把握し、その心をあたたかく見守り 育ててくれるようになることを願っています。
6. 8 悲しい事件
夕方 テレビをつけると、小学生8人死亡というニュースが飛び込んできました。一体何が起きたのか、ドラマなのか現実なのか 信じられない思いで話を聞いていると、小学校に乱入した男性が わずか12分の間に多くの子ども達に包丁で切りかかり多数の死傷者を出したとのこと。安全であるはずの学校で 社会の宝であり、輝く未来を生きる権利のある子どもたちが 生命を奪われた事態にやりきれない悲しみを感じます。地域で子ども達を育てていこうと 開かれた学校を目指し始めた矢先にこうした事件がおきれば、学校は嫌でもガードを固めざるを得ないことになるでしょう。子ども達のこころも とても心配です。犯人は 何もかもが嫌になり、自殺を図ったが死にきれず、死刑を望んでの凶行だったかのように話しているそうですが、真実の人生を知らないということは 素晴らしいはずの人間に こんなにも愚かなことをさせてしまうのだろうかと 本当に残念に思います。犯人を弁護するつもりではありません。彼がなしたことは たとえ精神状態がどうであれ、罪を償うべきだと思いますし、奪った生命を償えることなど どんな方法をもってでもできないでしょう。ただ 小さな頃から生命の尊厳について 真実の人生を生きるということについて 宗教的観点も交えながら教えられてきていたなら こうした事件を防ぐこともできたのではないかと思うと残念でなりません。
子ども達が 迷わずに天国に還れることを、そして 子どもを失ったご家族のこころが 一日も早く慰められますことを こころから祈ります。
6. 7 本を読むということ
私達のまわりには 本当に多くの書籍が溢れています。私も かなり いろいろな本を読みますが、本当に「読んだ」と言えるほど しっかりと読めているだろうかと思うと、少し自信がありません。情報誌のように 一度目を通せば、あとは必要に応じて活用していけばよい類の本は別として、人生における意味を教えてくれるような 哲学的で精神性の高い書籍は 読むたびに新しい発見があり、そこから つかみとれるものが違うような気がします。また 同じ本を読んでも、人生が一変するような目覚めがある人もいれば、「読んだよ」の一言で それまでと何も変わらない人がいます。活字も中身も全く同じなのに、何故これほどまでに差が出てくるのでしょう。世に多く出ている 自己実現の書籍、成功体験の書籍も ただ読むだけでは何の変化もありませんが、そこから学んだことを実践し、生かすことができれば、本当に人生を変えていく力をもっています。本を読むということは ただ活字を目で追うことではなく、そこに作者の真意を読み取り、自分の状況に照らし合わせて、どのように生かしていくかを考え 実践し、結果へと結び付けていく……。そこまでの一連の流れを言うのではないでしょうか。良書とは 人生を豊かで深いものへと誘ってくれる 本当に素晴らしい宝だと思います。
人生について深く考えるヒントが満載、運命をも変えていく勇気が湧いてくる「奇跡の法」を 皆様に 是非おすすめしたいと思います。
6. 6 結婚の縁
今日は24回目の結婚記念日です。二人の子供達も すっかり手が離れ、自由に旅行にもでかけられるようになり、月日がたつのは本当に早いなぁと実感しています。私達は 天国で、結婚する相手を決めて出てくるそうです。いろな事情を考えて、3人くらいの相手を予定してくるという話を聞いたときには「一人じゃないの?」と不思議に思いましたが、周りを見渡してみると いろいろなパターンがあるのだなということが 何となくわかります。誰もが羨むような理想的な夫婦は、前世でも夫婦をしていて 「今世も一緒に」と約束していた人達かなぁと思いますし、「今世はひとつ夫婦として生活してみますか」な〜んて 軽いノリで結婚したのではないかと思うような夫婦は 前世は友人関係だったのかなぁという気がします。そして 一番スゴイナと感じるのは、自分が一番修行できる相手を選んでいるのではないかと思うような夫婦です。そうした場合は、夫婦関係で悩むことも多いようですが、話を聞いていると、大変ではあるけれど、その人との結婚によって とても大きな学びがあることを感じます。どちらにしても 人生の大半を共に過ごす結婚相手。何の縁もないはずはありません。「何でこの人と結婚しちゃったんだろう」と思うより、「この人との結婚で私は何を学ぼうとしてきたのかな?」と考えた方が 毎日の暮らしが楽しくなるような気がします。一年に一度くらいは 結婚した日の気持ちを思い出し、共に歩み続けてこられたことに感謝をして、相手の素晴らしいところを発見しながら 楽しく暮らしていきたいなと思います。
6. 5 おくりもの
雑誌の企画で 贈りものについてのアンケートがあったので、少し考えてみました。私は贈りものをすることが大好きです。でも、お中元とか、お歳暮とか 義理で何かを贈るということは プライベートなお付き合いの中ではほとんどありません。本当は お誕生日だからとか、何々の日だからということにもこだわらないで、「貴方のことを思い出したの」と言って さりげなくプレゼントできるようになることが理想ですが、それも なかなか難しいので、大半はお誕生日や 記念日にプレゼントをすることになります。贈りものって もらう人とあげる人、どちらがうれしいのでしょうね。私は 贈る方が何倍もうれしいかなぁと思います。まず 相手の喜ぶ顔を思い描きながら選ぶ時間って とても幸せですよね。そして 相手が喜んでくれると もっとうれしい。先日は 昔々友人が私からの誕生日プレゼントを すごく喜んで書いてくれた手紙が出てきて、時を越えて また あったかい気持ちになりました。プレゼントって 贈らせてもらえる方がうれしいんだなぁと実感した瞬間です。もちろん プレゼントをもらうのも とてもうれしいけれど、それは相手の心がうれしいんだよね。自分のことを気にかけていてくれたという その思いが。だから、贈りものは 物を選ぶのではなくて、大切な人に 自分のこころを届けようと思うところから始まるような気がします。
6. 4 もしも……。
仏神の姿は 私達の目には見えませんし、声を聞くこともできません。「あの世」から帰ってきた人の話を聞いたことはありませんから、あの世の存在を証明することもできません。しかし、預言者は 神の声を聞いてその存在を皆に伝え、臨死体験をした人は、死後の世界を知って死ぬことが怖くなくなったと話し、特殊な能力をもつ人は、あの世に生きる霊人の姿を見ることができると言います。一部の役割をもった人だけが、その存在を確認できるというのは 仏神の大いなる愛であり、すべての人には見えないところに 何か意味があるのではないかと思います。「死んだら終わり。神様なんていないよ」と言い切る人がいます。そのことを証明できた人など ひとりもいないというのに、何故そのように思えるのでしょう。私にはそちらの方が不思議です。自分が感じられないから否定するというのは 少し傲慢ではないかという気がしますし、そうした存在があると言う人がいるならば それを素直に信じることができた方が 幸せなのではないかと思います。
「確かに証明はできないけれど、もしも、仏神が存在し、死ぬことがあの世への旅立ちだとしたら、今のままの生き方で後悔はありませんか?」
6. 3 自己限定の呪縛から飛び出せ!
私達は本来 仏神の子として 素晴らしい仏性と、無限の力、無限の可能性をもっているにも関わらず、その何分の1も発揮できないままで、一生を終えていくような気がします。若い時には どんなことでもできそうな気がしていた人でも、様々な失敗や挫折の中で、いつのまにか自信を失い、自己の能力に不信をもち、ゆきすぎた希望を抱かないようにと 小さな小さな枠に自分を押し込めていってしまっていく様子は 見ていてとても悲しく映ります。「もう歳だから……。」そうした言葉で 自分の可能性の芽を全てつんでしまっている人は いませんか?「何をおっしゃいます。まだまだ これからですよ」80歳であろうが、90歳であろうが まだまだこれからなのです。何故なら この世を去れば、また「あの世」での生活が始まり、何百年後には またこの地上に……。そうした永遠の生命を生きている私達にとって これから始める事でも なにひとつ無駄にはならないからです。そして 抱く夢は大きければ大きいほどいいと思います。大きな夢に向かって努力している時、ちっぽけな悩みは 消えていきます。日本を変えよう!な〜んてデッカイ夢をもっていれば、総理大臣とネットでお話できる機会が飛び込んでくるかもしれない。そんなことが現実に起きても不思議ではありませんよね。一番大切なのは 自分で自分を限定しないこと。自己限定の呪縛から飛び出すことだと思います。たとえ何歳であっても、私達は毎日新しい一日を与えられ、毎日生まれ変わることができるのだから……。
「日々是新生」輝く未来を創りだしていくのは 私達ひとりひとりの心です。
6. 2 箱の中身
箱がいくら立派でも 中身がお粗末では悲しい。いくら人が羨むような豪邸に住んでいたとしても、ひとり寂しく過ごすのは虚しい。どんなものでも 大切なのは中身ですね。
今朝は IT国家を目指している日本の取り組みということで ブロードバンドについての特集をしていました。5年以内には、なんらかの形で ネットしている人の90%以上の人に プロードバンドの環境を整えたいというのが政府の目標だそうです。確かに、ここ数日ADSLの驚異的なアクセススピードに感動している私としては、この高速通信が可能にするであろう 新しいサービスと、その結果展開してくる世界にわくわくしていますし、そうした環境が整ってくれば 教育や医療の世界にも大きな変化があるのではないかと期待しています。ただ ライプを中継で見られたり、新作映画を家庭で楽しめるようになったからといって、生活や心が豊かになるとは思えませんし、環境を整備すること以上に大切なのは、そこで何を発信し どれだけの人を幸せにできるかということではないでしょうか。最近、『出会い系サイト』で知り合った人同志のトラブルが多発していますが、ネットの普及が不幸な人を生み出すことになるのは あまりにも悲しいと思います。インターネットの世界を知って本当に良かったと 皆が笑顔で語れる日が来るように、充実した中身を創造し、発信し続けていこうとする人が多数生まれてくることが 重要だと思います。ネットに携わっている私達一人ひとりが その主役となって心通う 素晴らしい『IT国家』を誕生させていきましょう。
6. 1 光の中へ
家族もなく、仕事もなく、将来に希望が見出せず、暗い部屋に閉じこもっている貴方。
その暗い部屋で 一体何を見ていますか? どんな思いが 胸をよぎっているのでしょう。
いつまでそうしていますか? 解決しなくてはならない問題が 山積みだというのに……。
誰も貴方の問題を代わって解決することはできません。でも 貴方が立ち上がれば 皆ができうる限りの応援をしてくれることでしょう。
健康な体がある。仕事をするだけの技術もある。心配してくれる友人もいる……。それでも 貴方は不幸だと嘆いているのでしょうか。
どうしたら伝えられるでしょう。貴方の上にも 他の人と同じように仏の愛の光が注がれていることを。
どうしたら伝えられるでしょう。その光を遮っているのは 貴方自身の頑なな心なのだということを。
私は貴方に幸せになってほしい。今のままでも 本当は幸せなのだということに気づいてほしい。
そして今貴方が 知らないうちに邪悪なものの影響を受けているということ、その邪悪な者を呼んでいるのは、感謝を忘れ、奪う愛に生きてきた貴方の心なのだということを 知って欲しいと思います。
心開いて 光の中を生きてください。邪悪な者は自らの心の光によって 撃退してください。
貴方の本当の幸せを 多くの仲間と共に願っています。
2001年 (46)1.1〜15 (47)1.16〜31 (48)2.1〜15 (49)2.16〜28 (50)3.1〜15 (51)3.16〜31
(52)4.1〜15 (53)4.16〜30 (54)5.1〜15 (55)5.16〜31 (56)6.1〜15
2000年 (22)1.1〜15 (23)1.16〜31 (24)2.1〜15 (25)2.16〜29 (26)3. 1〜15 (27)3.16〜31
(28)4.1〜15 (29)4.16〜30 (30)5.1〜15 (31)5.16〜31 (32)6.1〜15 (33)6.16〜30
(34)7.1〜15 (35)7.16〜31 (36)8.1〜15 (37)8.16〜31 (38)9.1〜15 (39)9.16〜30
(40)10.1〜15 (41)10.16〜31 (42)11.1〜15 (43)11.15〜30 (44)12.1〜15 (45)12.16〜31
T2.7〜21 U 2.22〜3.6 V 3.7〜21 W 3.22〜4.6 X4.7〜21 Y 4.22〜5.6 Z 5.7〜21
[ 5.22〜6.6 \ 6.7〜21 ] 6.22〜7.6 J 7.7〜.21 K 7.22〜8.6 L 8.7〜21 M8.22〜9.6
N 9.7〜21 O9.22〜10.6 P10.7〜21 Q 10.22〜11.6 R11.7〜21 S11.22〜12.6 (21)12.7〜31


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