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| 5. 15 |
自分を責めないで
アトピーで肌が荒れている赤ちゃんをつれたお母さんが、「私に原因があると思う……。」と話すのを聞いて、そのように自分を責めるこころをもって 毎日赤ちゃんに接するのは辛いだろうなぁと思うと同時に、「母原病」という書籍のことを思い出しました。子ども達が まだ小さい頃だったと思いますが、子どもについてのさまざまな問題は 母親にその原因があるといったことが書かれていた書籍で 当時マスコミでもかなり取り上げられ、続編も出版されたと記憶しています。子育て真っ最中の時期だった私は、気づかされることも多く、とても参考になりましたが、その後 この「母原病」を読んで、子育てに自信をなくした母親や、自分を責めて かえって子どもの状態を悪化させてしまう事例があると聞きました。参考程度に読む人にとっては 薬になる書籍も 自分を責める傾向性が強い人にとっては、毒になってしまうのだなと驚いたものです。今日 出会ったお母さんも、誰かに「母親に原因がある」と言われたのかもしれません。しかし、本当にその人が、医学的に知識があって言ったのかどうかは不明ですし、何よりも その言葉をどのように受け取るかは自分自身の選択です。自分に原因があると気づいたなら、反省し、その過ちを修正することは大切ですが、ただ自分を責めても何も解決しません。また、そうした自虐的精神は 自らも、まわりの人も 幸せにできない思いですから、どんなことがあったとしても、自分を責めるこころはもたないよう、日頃から気をつけていきたいものですね。 |
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| 5. 14 |
23回忌
主人の父親が亡くなったのは、私達が結婚して2年足らずの昭和52年5月14日。半年あまり入院が続き、義母を助けて、皆が交代で看護をしようと決めた矢先のことでした。その後 すぐに妊娠し、生まれた娘が 早いものでもう21歳。今日は23回忌でした。お墓の前でお経をあげてもらった後、ご住職の奥様にお茶をふるまっていただきましたが、ご住職が 義父のことにはひとことも触れず、ペット産業の話や雑談をされただけで 法事らしきものが終わってしまったことには驚きました。僧侶の仕事とは本来 亡くなった方を成仏させ、残された人達には 故人を偲び、故人に感謝することや、よりよく生きる道を教え諭すことではないかと思います。お葬式の時だけでなく、法事の時などにも、誰もがいつかは行かなければならない「あの世」について 常々話していくことも大切なのではないでしょうか。葬式仏教、形式仏教といわれることになれ、本来の役目を忘れているとしか思えない現代の僧侶。お葬式の席でさえ、「あの世のことなんてわからない」と平然と言い放つ僧侶がいて 驚くこともありますが、一般の人にとっては やはり僧侶が頼り。人間いかに生きるべきか。人の死とは、あの世とは?といったことについて明解に答え、あの世の視点をもって 人々を善導できる僧侶が増えてくれることを願っています。 |
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| 5. 13 |
夫婦
星の数ほどいる男女の中で、ただ一人を選び結婚する……。それがどれほど神秘的で 奇跡的なことか考えたことがありますか? そうしてめぐり合った相手を大切にしていますか? 学生の頃の私は 自分が誰かを選ぶことも 選ばれることも想像ができず、一生結婚しないかもしれないとも思っていました。それが 友人の中でも一番最初に結婚したのですから、人間とはわからないものです。やはり天国で相手を約束して生まれてくるから、わかるのかな*^o^*
。ただ いくら約束をしてきた相手とめぐり合って結婚したとしても、相手の心が透けて見えるわけではありませんから、お互いに自分の気持ちを伝え合うことがとても大切だと思います。日本の夫婦は 外国の夫婦に比べて、一緒に過ごす時間がとても少ないそうです。経済的に家庭を支えていれば、それで夫の役割を果たしていると思っている男性も まだまだいるようですが、妻は夫が何を考え、何に関心をもち どんな思いで毎日を過ごしているかを知りたがっていますから、そうしたことを 是非話してほしいと思います。何も言わなくてもわかるだろうというのは 錯覚で、夫婦は二心二体。気持ちを伝え合い、理解しあう日々を重ね、泣いたり笑ったリ、けんかをしたりして、長い年月をかけて かけがえのない関係になっていくのではないでしょうか。自分のことを一番わかっていてくれるのはパートナー。そう堂々とのろけてくれる人が 増えるといいなぁと思います。 |
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| 5. 12 |
変化を受け入れる勇気
ものづくりが得意な日本。戦後の日本経済をひっぱってきた工場での大量生産ですが、現在では 賃金の安い外国にその拠点を移すところが多くなり、国内の生産工場は危機的状況にあります。そうした中で、生産ラインを変えることで生き残りをかける会社も増えてきました。それまで 大量生産には一番適していると信じられていた ベルトコンベアを使用した分業をやめて、一人で全てを完成させる「多機能方式」が 注目されています。今日のNHKでは、工場の効率化をはかるために、生産ラインの変更を請負う会社と、その指示を受けた工場の様子を取材していました。新しい方法を取り入れるということは とても勇気のいることです。また 新しい方法がいかに優れていても、その成果が上がるまでには、時間がかかるのが普通です。ある工場では、いきなり 多機能方式にしたことで、工場内が混乱して能率が下がり、納期を重要視した生産ラインの責任者が、もとどおりの分業スタイルに戻す決断を下しました。最終的には、この工場でも 多機能方式が分業方式に勝ることが証明され、生産ラインもアドバイス通りに変更したと思いますが、他の人のアドバイスを素直に聞き、成果が出ることを信じて、受け入れる勇気をもつことが どれほど難しいことかを感じました。新しい時代には 新しいアイディアで戦うことが大切です。人は 変化をあまり好まないようですが、会社としての体力があるうちに変化を受け入れ、生まれ変わり続けていくことが 今の時代を生き抜いていく知恵ではないかと思いました。人生においても……。 |
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| 5. 11 |
ハンセン病国家賠償訴訟 勝訴
ハンセン病患者の人達が 国を相手取っておこしていた賠償訴訟の初の判決が下され、「原告側勝訴」という うれしいニュースが飛び込んできました。ハンセン病にかかった人達が 隔離され、差別されていたという話は 以前にも聞いたことがありましたが、昨日ニュースステーションで その現状を目の当たりにし、改めて いろいろと考えさせられました。治療薬が開発され、感染しないことがわかっても尚、それが正しく理解されず、国家の政策によって、人権を無視したひどい扱いをされていた人達。家族と離れ、自分の名前を隠し、子どもを産むことも つくることも許されず生きていくことが どれほどのことか……。何よりも「自分は生きていて良いのだろうか」と思いながら 生きることの悲しみを思うと、この人達は、「これも人生計画なのですか」と 何度神様に尋ねたことだろうと 涙が溢れました。勝訴の判決が下りたからといって、今までの悲しみに満ちた生活が すぐに喜びの日々となるわけではありませんが、「人間としての空を取り戻した。人間としての権利が認められた」と喜ぶ原告団の人の晴れ晴れとした笑顔が救いです。彼らが 社会に自然に受け入れられ、誰に遠慮することもなく暮らせる日が 一日も早くきますように。 |
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| 5. 10 |
本当の自分をさがして
自分のことを一番良く知っているのは、自分自身。それは多分 誰もが認めることだと思いますが、本当に自分自身のことを 正しく理解できているのだろうかと考えてみると、意外と、自分のこころの奥底にある感情や、さまざまな気持ちに気づいていないことがあります。また 少しは気づいていながら、自分で認めたくない思いというものもあるのではないでしょうか。たとえば「嫉妬」。 誰かに嫉妬している自分というのは なかなか認めたくないものです。認めないどころか 嫉妬している自分を正当化しようとして、相手を悪く言ってみたりすることも多いようです。自分の嫌な部分を見たくないというのは 人間の防衛本能なのかもしれませんが、本当の自分を知るためには そうした嫌な部分も含めて 自分をありのままに見つめ、認めることが必要だと思います。しかし、それは 「自分はなんという人間なのだろう」と 自己嫌悪に陥ることを勧めているのではありません。たとえ 嫌な部分、至らない部分、弱い部分をたくさん見つけたとしても、その奥にある 本当の自分、素晴らしい自分を発見してほしいということなのです。誰かが喜んでくれるとうれしい。自分が役に立てることがうれしい。誰かを愛しく思える自分がうれしい……。そうしたこころも きっとあるはずです。深い智慧と、愛に満ち、無限の創造性を備えて 幸せになる義務をもって生まれてきた私達。真の幸福への第一歩は、ほんとうの自分をさがし 発見していくことではないかと思います。 |
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| 5. 9 |
娘への手紙
ゴールデンウィークに 眠るために帰ってきたような娘が、東京に戻って3日がたちました。就職して2年目。希望に燃え、大好きな卓球に打ち込んでいた短大時代とは少し様子が違って 仕事をしながら 卓球部の選手としてアフターファィブを過ごさなければならない生活に、心身ともに疲れているようでした。いつも目標に向かって 努力することを厭わず、輝いていた彼女が 目標を見失い、こころが定まっていない様子は 離れているだけに少し心配です。毎日家に帰ってくるなら、いろいろな話を聞き、時には叱ったり 慰めたり、共に喜んだりできるのになぁと思うと、こんな時ばかりは、離れていることのもどかしさ感じます。先日 東京で会ったときに、彼女は「結婚したいけれど 相手がいない」と 冗談ともつかない話をしました。「結婚を逃げ道にするんじゃないよ」と言ったものの、結婚が彼女にとって身近になってきていることを感じ、母として、女性の先輩として伝えておきたいことを 手紙に書くことにしました。結構本音で話し合いのできる親子だと思いますが、面と向かって言いづらいこともあります。特に結婚や、結婚前の性交渉についての話は なかなかフランクにはできません。「天国で約束してきた相手と出会う時の為に、こころと身体を大切にして、自分を磨いてほしい。」そう書き綴った手紙を 娘はどんな思いで読んでくれるのでしょうか。 |
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| 5. 8 |
しあわせな人
昨日の続きのようにもなりますが、「幸せな人」と 「不幸な人」の見分け方。或いは 自己チェックの方法はといえば、「誰のことを考えているか」ということになると思います。幸せな人は、他の人のことを考えています。どうすれば 自分の目の前、或いは周りにいる人を幸せにできるかということが 常にこころの中にありますから、相手が喜んでくれること、誰かの役に立てることはないかという思いで 本当に生き生きとして暮らしています。反対に 不幸感覚が強い人は、いつも自分のことを考えています。誰かが自分にしたこと。誰かに何かを言われたこと等が いつまでも気になっていたり、そのことによって 自分のこころがいかに傷ついたか、いかに気分を害したかということを 誰かに聞いてもらいたくて仕方がなくなるようです。そして 「大変だったわね。可哀想ね」と誰かに言ってもらうことで 自分のこころをなだめます。その為に 自分の感情や愚痴を相手構わずぶつける人も多いようですね。しかし こうしたことをいくら繰り返しても、幸せになることはできません。なぜなら 幸せは「与える人」の元にあつまり、「奪う人」のところからは 逃げていくからです。「幸福な人生」への扉を開く鍵は、「見返りを求めない愛」「与える愛の実践」の喜びを知ること。「誰かが喜んでくれることがうれしい。」そうした思いを 日々持ち続けて暮らしていったなら しあわせと二人三脚で生きていけることを どうか知ってくださいね。 |
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| 5. 7 |
感謝
幸せだと思って暮らしている人のこころの中にあって、「自分は不幸だ!」と思っている人のこころの中には なかなか見つけられないもの。それは「感謝のこころ」です。幸せな人生を歩いていけるかどうかは この「感謝の思い」をもてるかどうかだと言っても 良いのかもしれませんね。さて、それでは この感謝。一体何に対してするのでしょう。あなたのこころの中には どんな感謝の思いがありますか?
本当に幸せな人生というのは ふたつの感謝がある人生だと話してくれた人があります。ひとつは 大宇宙を統べるところの仏神とも言われる存在に対する感謝。そして もうひとつは、家族や友人、職場の人といった 自分の周りの人に対する感謝。「あぁ、そうだなぁ」と納得される方も多いのではないでしょうか。家族や知人に対する感謝の思いは強くても、仏神の存在を信じることができず、感謝をしたこともない人。仏神には感謝するけれど、家族や親しい人には 不満がいっぱいという人。確かに どちらも本当に幸せとはいえない気がします。でも、このふたつの感謝を胸に生きていけば、幸せに満ちた日々が続くのだなと思うと うれしくなりました。仏への感謝と、周りの人に対する感謝。日々 感じることができれば 一番良いのですが、忙しい日常の中でそうした時間がもてないのであれば、一月に一度くらいは、感謝の時間をとりたいものですね。きっと 与えられていることの多さに気づき、さらに感謝の思いが強くなることでしょう。 |
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| 5. 6 |
子どもの日
昨日は「子どもの日」。全国各地で開催されたイベントは 多くの家族連れでにぎわい、平和な日本を感じさせますが、虐待され 幼いうちに悲しい生涯を閉じてしまう子ども達がいることや、親自身が、子どもを愛することができない自分を責め、辛い思いで子育てをしている場合もあることを思うと、こうした日が 単にイベントに参加して遊ぶだけの日にとどまらず、真に 親子の信頼を深める日になるといいなぁと思います。命の尊さ、親子の縁、そうした神秘の世界を子どもの頃から語り継ぐ人がいれば、また違った気持ちで自分の子どもを受け入れることができるのではないかとも思います。新聞に「子どもの日は 子どもたちが 自分に愛情をかけてくれている人たちに感謝する日でもあると思う」と書かれていましたが、本当にそうだなぁと思います。我家では、子どもの日は 子どもにとって、プレゼントを買ってもらう日、どこかに連れていってもらう日となっていて、親への感謝はどこへやら。子どもが王様で 大切にされて当たり前の日となっていました。もっと大切な事を話してあげられる日として生かすことができると良かったなぁと 今になって思います。皆さんのお宅では どのような「子どもの日」を過ごされたのでしょうか? |
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| 5. 5 |
立場が違えば……。
北朝鮮の最高権力者 金正日総書記の長男である 金正男氏とみられる男性が 家族と共に偽造パスポートで成田から不法入国を図ったことが露見して 強制退去処分になりました。本人の希望で 一度中国に強制退去した後 本国に帰るのだそうです。金正男氏本人であることも公に確認することなく、何の御とがめもナシの状態で退去させた今回の日本の対応を不満に思う人、その対応が適切だったとコメントした小泉氏にガッカリした人もかなりいるように思います。北朝鮮に食糧援助等をしながら、さほど感謝される様子もなく、日本人拉致問題に対しても 何の進展もない日本と北朝鮮との関係。核ミサイルの攻撃可能エリアには 日本もしっかり入っているという状態で、政府がことを荒立てたくなかったことは わからないでもありません。しかし、現実には 日本人拉致問題の疑惑解明を求める最高のカードを手に入れたとも考えられる状態を あっさりと手放した日本政府に対して、もし自分の家族が拉致されていたらと思うと、納得のできる対応ではなかったように思います。立場が違えば、良しとすることも違います。どんなことも すべての人に良い解決方法を探すことは難しいと思います。しかし、より良い方法、皆が納得できる方法を考え、実行できる人達が 政治をしていくべきではないかと思いますし、今回のことも 何故そのようにすることがベストだと判断したのかというところを 国民が納得するように説明をして初めて ことの処理が終わったと言えるのではないかと思いました。 |
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| 5. 4 |
眠り姫(^^;)
東京で寮暮らしをしている娘が帰ってきました。3日朝 6時7分の新幹線に乗って早朝に戻った彼女は、前日ほとんど寝ていなかったとみえて、昨日は私達夫婦と一緒に琵琶湖にいったものの車の中では寝てばかり。風邪がなかなか治らないとのことで 今日も一日中眠ったままでした。東京で就職して二年目。今年になって配属が変わったとはいえ、同じ場所に通勤し、寮は卓球部の人たちと寮母さんとの6人暮らし。それほど緊張している日々を過ごしているわけでもないようですが、こちらに帰ってくると 本当にのんびりしていると感じるそうです。ついでに 身体の緊張も解けるのか、思えば 岐阜に帰って来るたびに 風邪をひいて 眠ってばかりいるような気がします。20歳で結婚をした私は、親元を離れたと同時に 7歳年上の夫と暮らすようになり、一度もひとり暮らしをしたことがありません。寂しい時、疲れた時、嫌なことがあった時……。誰にもそのこころの内を話すことができないつらさを味わったことも 多分ないのだと思います。短大入学の時から親元を離れて4年目。娘の身にもきっといろいろな事があるのだろうなぁと 眠り続ける彼女を見て思いました。 眠るために帰ってきたような娘でしたが、実家が安心して眠れる場所であることに どこか幸せを感じ、いつまでもそうした場所でありたいと思っている私自身に気づきました。お休みもあと二日で終わり。明日は起きられるかな? |
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| 5. 3 |
こころの出家
ゴールデンウィークにはいって以来 暗いニュースが続いています。そうした報道を見聞きするたびに、目に見えない世界を信じない人間社会の進歩の限界を感じ、宗教心の欠如がこうした事態を招いてしまったのではないかと思います。日本神道と仏教を中心とした信仰が根付いていたはずの日本人のこころの中から 戦後『仏神』の蔭が薄くなり、『宗教』に対するイメージが悪くなってきましたが、それは 第二次世界大戦に敗れ、「神様」が絶対と考えられなくなったことや、そのすき間を埋めるかのように誕生した 数々の信仰宗教の中に邪なものも多かったことに 原因の多くがあるのではないかと思います。また アメリカ主導で作成された「日本国憲法」の中で 政教分離が明確化され、宗教的なことを学校教育から排除したことも 大きく影響していると思いますが、生命の尊さ、人類愛、人間の使命、生きる目的等は 道徳だけでは教えきれることではなく、そうしたことを教えなくなってしまったことは 子どもたちにとって むしろ可哀想な事態だったと思います。教師自身が宗教的なものを遠ざけるのではなく、人間の素晴らしさ、命の尊さ、神秘さについて もっと学ぶ方向に進んでいれば、また違った教育ができたのかもしれませんが……。現代は、出家して ただ修行をしていれば良いという時代ではありませんが、「こころの出家」をし、人として生きる道を求め、学び、精進していく精神は必要ではないかと思います。今日 夫がその道に一歩足を踏み入れる決意をしてくれたことは 私にとっても最高の喜びです。共に 仏神のこころにかなった「真の発展繁栄」を目指していきたいと思います。 |
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| 5. 2 |
不幸を愛するこころ
「あなたは不幸を愛しているのね」そう言われたなら 誰もが「なんという事を言うのだろう。不幸を愛しているなんて馬鹿なことがあるわけがない」そう反論するでしょう。しかし 不平不満を言いながら 現状を呪う人達を 少し離れた立場で冷静に見てみると、とても 幸せになりたいと思っているとは考えられない。むしろ そのように不幸を呼び込むような生活をしている人が多いような気がします。もちろん その人達にも言い分はあります。様々な事情もあるでしょう。それでも このままではいけないとか、こうした方が良いのだろうなぁと、現状を打開する方法に気づいていながら、なかなか自分から変えていこうとはせず、何の変化もない原状に甘んじている様子は「不幸を愛している」としか思えません。幸せとは 待っていれば どこからやってくるものではなく、自らが、幸せになる道を選択していった結果 現われてくるものなのだと思います。さらに言うならば、こころがガラリと変われば、自分を不幸にしていると思っていた現状が 実は 幸福な道への入り口だったと気づくこともできるのです。自分は不幸だと思っているときは、自らの選択の結果が今なのだと言われても、なかなか そうしたことを認めることができませんし、つい自分を甘やかして その原因を環境や 他の人のせいにしがちです。しかし、それこそが「不幸を愛する生き方」につながるのだということを どうか知ってください。皆さんの心の中から「不幸を愛するこころ」が なくなることを願って……。 |
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| 5. 1 |
目標と方向性
私達は日々 いろいろなことを思い、選択し、一日をすごしています。そして 長く思える人生も、実はそうした一日の積み重ねの結果だと思うと、毎日を大切にしたいという思いがわいてきます。オギャーと生まれた時には、誰もが生まれる前の記憶をなくし、もちろん自分の人生計画を知ることもできず、ゼロからのスタートをします。それなのに 多くの人を幸せにし、自らも幸せな人生を送る人もいれば、人を傷つけ 自らのこころを傷つけて 不幸といわれる人生を送る人があるのは どういうことなのでしょう。何故このように違いが出てきてしまうのでしょう。ある人は、生まれながらにしてその才能や環境が違うからだと言うかもしれませんし、天国から生まれてきた人と、そうではない人の違いだと思いたい人もいるかもしれません。しかし、私達の本質は みな仏神の子であり 無限の可能性を秘めた素晴らしい存在です。ただ そのことを知らない人達は、自らを小さくてつまらない存在だと思い、世の中の役に立つ喜びを知らずに 無駄な時間を過ごしてしまうことが多いのではないかと思います。私達が 「あぁ、良い人生だった」とあの世へ旅立っていく為には、どのように生きていけば良いのか。それは 方向性と目標をもつことだと思います。どんなに高性能な乗り物であっても 目的地がハッキリしていなければ 飛び立つことができないように 私達もまた 自らが進みたい方向性、目標をしっかりと定め、その目標達成への強い願いを持続させながら 努力し続けていくことが大切なのではないでしょうか。大きな成功をおさめた人達は、そうした 希望実現のプロセスを知り、実行していたように感じます。他の人からの評価ではなく、自らが いい人生だったと言えるような そんな生き方ができるといいですね。 |
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