Cross my mind 44 2000 12. 1 to 15
| 毎日の生活の中で思い浮かんだ さまざまな事の中から・・・ | since'99 2. 7 | ||||||||||
| 皆様のご意見を | ||
| 12. 15 | 1人1人が主役 今日は午後から、女子のベスト16決定と8決定の試合を見てきました。福原愛ちゃんは 健闘しましたが惜しくも四天王寺高校の選手に負け、この負けが また愛ちゃんを強くするのだろうなぁと思いましたが、大人になっても 圧倒的にレベルの違う選手がいるのも事実で 勝負の世界の厳しさを感じました。こうした世界で得られる教訓もたくさんありますが、優勝をする以外 必ずどこかで「負ける」というのは うれしくなかったなぁと 自分がやっていた頃のことを思い出しました。主役になれるのは 最後の一人の世界……。それと比べると 「人生」という大舞台は 1人1人が主役になるために与えられ、勝ち負けはないし、素晴らしいなぁと思いました。人生の目的は 他の人を倒して生き残ることではありません。それがまず うれしいなぁと思います。そして 自分のこころと個性を輝かせて、人を愛し、世の中や人の為に生きて あの世に還ることができたなら、お金や 名誉や地位がなくても その努力を 神さまや天使が喜んでくださるのだろうなぁと思ったら 試合に負けてガッカリしている子達にも 伝えてあげたくなりました。「人生という舞台では みんな主役なんだよ。だから『自分の人生』幕が下りるまで主役として生きていってね。」 |
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| 12. 14 | 努力即幸福 今日も 一日中、全日本の試合会場で過ごしてしまいました。会場には 中学・高校・大学時代と ずっと頑張っていた 見覚えのある子達がたくさんいて プログラムを片手に そんな子達を 遠くから見ているだけでも 楽しい時が流れます。普通であれば 全日本に出場できるというだけでも 結構すごいことなのですが、ここで 勝ったり負けたりしている常連の子達にとっては 「全日本」であっても たくさんの試合の中のひとつなのかもしれないと ふと思いました。しかし 彼らも 常に勝組だったわけではなく、ケガや 精神的・技術的なスランプ、恋愛等 それぞれの悩みの中で やる気が薄れて横道にそれたり、勝てなかったりした時期もありました。そうした子達が また元気で楽しそうにプレイしているのを見ると 卓球が本当に好きだったんだなぁと うれしくなります。 本当に好きなことというのは 上達するためなら どんな努力も惜しみませんし、本人は努力しているとも感じていないことが多いと思います。また 上達していくこと自体に 喜びを感じていますから 人によって その差はあるものの 結果にもあまりこだわらないような気がします。「努力即幸福」と感じられるような好きなことを いつも続けていけたら幸せだなぁと思います。 |
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| 12. 13 | この世は不公平? 昨日から 全日本卓球選手権が始まりました。福原愛ちゃんが どこまで活躍するかが注目の的で テレビでは 彼女の様子が毎日数回報道され、試合会場では 昨年同様 彼女の後に テレビカメラが数台ついてくるという異常事態。小学生の愛ちゃん負けるところを テレビ放映されるのは できれば避けたいと思っている選手は 多いのではないかと思いました。東京からダブルスの代表として参加している娘は 社会人になって ぐっと練習量が減ったにもかかわらず 二回戦まで勝ちました。全日本での3回戦進出は 娘にとって初めての体験で うれしいはずなのに 娘は素直に喜べない様子。「高校や短大時代に 目標をもって、一生懸命練習をして試合に臨んでも勝てなかったのに 今のように 練習もほとんどできないまま参加した試合で勝てるなんてなんだか嫌だ」というのです。監督に叱られながら必死で練習をしてきて 負けて泣いている学生達を思うと 複雑な心境になるのでしょう。確かに 勝ち負けで考えた場合 努力に応じた結果が出るわけではありません。しかし 卓球に限らず 努力がそのまま公平に評価されない、結果につながらないことは 世の中にはたくさんありますし、それが この世の現実でもあると思います。ですから そうした場合に それをどのように受け止め、どのように対処していくかを学ぶ 良い機会なのではないかと思いました。この世には 不公平なことも たくさんありますが、私達の努力を 公平に評価してくださる「仏の目」は 厳然としてあります。そのことを信じて 結果にとらわれず 淡々と努力し続けていきたいものですね。 |
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| 12. 12 | 願いつづけて 夢かなう 今日は 娘と夫と一緒に お話を聞きに行くことができました。今回は 神秘的な世界について正しく理解し 自らが思い込んでいる限界を突破することが 自分のこころの力を無限にのばしていけることにつながるかというお話だったので 是非聞いてほしかったのですが 娘は東京に住んでいますし、夫はあまり気乗りしない様子だったので 実は 少しあきらめかけていました。しかし、丁度 名古屋である試合のために帰ってきた娘が お話と 知り合いのお見舞いに行く為に 時間を作って岐阜まで来てくれて 夫も 彼女につられて 一緒に話を聞きに行ってくれました。三人並んでお話を聞きながら 夢にまで見たこの光景が 思いがけない形で実現したことに 私自身が驚いていました。本当に 夢心地というのは こうしたことを言うのでしょうね。善きことを ずっと願い続けていれば こうして実現していくのだということを またひとつ体験することができました。やはり あきらめちゃいけないですね。これも神秘的な世界の力のあらわけかもしれないと思いながら また 湧き出る勇気と元気を感じた一日でした。 |
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| 12. 11 | 説得 「説得力を高める」という言葉を聞いて、以前 友達に言われた言葉を思い出しました。「相手を説得しようというのは 相手を支配しようとしているのと一緒だよ」と。その時私は、私の言葉を誤解して関係がこじれてしまった人に、一生懸命 真意を伝えようとしていました。しかし そのことを 友人に指摘され、説得=支配?ということを 初めて考えてみたのですが、確かに説得するというのは 本人の意思を変えさせるという感じに近いなと思いました。そして そうした場合には 先生が生徒を、親が子どもを、上司が部下をというように 力の強いものが 弱いものへという関係が多いことからも 「支配」という言葉も 結構あてはまるような気がしました。確かに 「いいから こちらのいうことを聞きなさいよ」と 言っているような感じもありますものね。それ以来、説得しようとするのではなく、相手の話をよく聞いて、本人が 正しい選択ができるようなに判断材料をいろいろと提案しようという気持ちで 話が出来るようになりました。説得しようとすると 相手は 上から押さえ込まれるような気がして反発してしまうのでしょうね。 説得よりも、こころをひらいてもらった方が 説得以上の効果があると思います。 |
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| 12. 10 | 平穏無事の幸せ (12.11記) いつも思うことです。家族が離れて暮らしていても みな無事に健康で暮らすことができる毎日は 本当に幸せでありがたいことだなと。わかっているつもりだったけれど、家族が突然 目の前からいなくなってしまったとしたら、後悔することが たくさんありそうな気がします。いつ あの世に旅立ってもいい覚悟で生きているつもりだったけれど、いざ自分のいのちが 突然終わりそうになったとして 未練なく 身体から抜けられるかしら。ふと そんなことも思いました。 家族は一番身近にいるゆえ、甘えもあって 他人に対するような気配りも欠けてしまうところがあります。大切にしているつもりでも なかなか話をする時間もなく、結構 他人より思いを伝えていないかもしれません。大切な人が 突然脳内出血をし、緊急手術をしました。結果は手術も成功、軽い脳内出血を起こしたために、動脈瘤が発見され 除去できたという 大事にいたらないための奇跡的な状況だったのですが、その突然の出来事は 平穏無事の幸せのありがたさを 思い出させてくれました。家族だけでなく、縁ある全ての人たちと 心を込めて向き合っていきたい。自分の生命が どこでピリオドが打たれたとしても 未練のないよう生きていきたい。一期一会、一日一生の思いを大切に 日々の幸せに感謝して暮らしていこうと あらためてこころに誓いました。 |
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| 12. 9 | こころを鍛える 私達が長い長いと思っている80年ほどの人生も、永遠の生命から見た時には まばたきするほどの瞬間なのだそうです。それほどの長い時間を 私達は転生輪廻を繰り返し、様々な経験を積んで 魂修行をしてきた存在なのですね。それを思うと 同じ人間に生まれながら その能力や、生まれ育った環境に違いがあることも理解できます。過去世で どんな生き方をしたかが 現在の私達の人生計画に大きく影響を与え、今世 どのような人生を生きていくかによって また来世に開ける人生が変わっていくのでしょう。また 人生計画を立ててくる時には、たとえ本人が望んだことであっても その人にとって過酷すぎると思われる苦難困難を予定することは 許されないそうです。つまり私達が出会う 苦難困難というのは 魂修行のためのハードルとして自らが選択してきものであることも多いのです。これが キリスト教で言われる「神は私たちに耐えられない苦しみはお与えにならない」という教えになっているのかもしれませんが、そうしたことを忘れ、なぜ自分にこんな不幸がやってくるのだろうと 神さまを恨んだりするのも人間です。神さまが 私達の悩みや苦しみを消すことは簡単です。でも そのようにされないのは 私達がその困難を抜け出した時に 得ることのできる素晴らしい宝物を 神さまがご存知だからです。ですから 「大変だろうけれど 自分の努力でその宝物を手にしてごらん」と 見守ってくださっているのだと思います。こころを鍛え、多くの人を幸せにし、自らも幸せになる生き方を選択していきたいですね。 |
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| 12. 8 | 幸せのプログラム 皆さんが幸せだなぁと感じる時は どんなときでしょう。目標に向かって一生懸命努力して 良い結果が出た時、大願が成就した時というのはうれしいものですが、それは やったぁ!という達成感であったり、夢や目標に向かっているときの充実感という幸せのような気がします。そうした積極的な幸せも好きですが、私は毎日の暮らしの中で ふと気づく幸せの瞬間が大好きです。目覚めの時に 新しい一日が始まると感謝できる幸せ。家族や知人と笑顔を交わせる幸せ。仕事や様々な活動を通して 誰かの役に立てる幸せ……。青い空や紅葉した木々、寒さの中で綺麗にいている花、音楽や絵画といった自然や芸術も 私たちを幸せにしてくれますし まだまだ たくさんあります。身近な人の笑顔を思い浮かべて その人達に 今日は何ができるかしらと考えるだけでも幸せ気分になれますね。私達のこころの中には 「人が幸せになってくれると自分も幸せになる」という「与える愛」のプログラムが組み込まれているんだなぁと つくづく感じるこの頃です。もし「幸せ気分どころか寂しいわよ!」と思ったなら、こころの中をのぞいてみませんか?誰かが 自分に何かをしてくれることを待っているこころが 見えるかもしれません。誰のこころの中にもある「与える愛」のプログラム。スイッチオンしてくださいね。あなた自身の幸せの為に。 |
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| 12. 7 | 信じられることの幸せ 「人が壊したかった」高校2年生の男子が 自分で作った爆弾を使用し、猟銃をもったまま逮捕されました。中学時代に すでに人を殺してみたいと文集に書いている少年。人間とは みな裏表がある汚い存在だと思っていたようです。わずか15歳で人間に絶望してしまうような何があったのか、彼は自分も人も信じることができなかったのではないかと思うと、悲しい気持ちがします。信頼していた人から裏切られたと感じる体験をすると なかなか人を信じられなくなります。たとえ家族であっても、信じられないようなことをした相手に対して 100%の信頼が戻るまでには 時間がかかるでしょう。また 人が信じられないと言う人は どこか 自分自身のことも信じていないところがあるような気がします。自分を信じられないというのは おかしな表現ですが、「自分が仏性を宿した素晴らしい存在だとは とても信じられない」という人は 私のまわりにもいます。仏神の存在、永遠の生命、仏性を宿した尊い存在である人間。そうしたことを 信じられるというのは それだけでもどれほど幸せなことかを感じるこの頃です。この幸せを できれば皆さんにも感じていただきたいと こころから願います。 |
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| 12. 6 | 一周忌 今日は昨年亡くなった義母の 少し早い一周忌でした。思いもよらない脳溢血で倒れて3週間。あっという間に逝ってしまった義母。昨年の今頃 集中治療室に横たわる義母の側で いろいろと こころで話し掛けていた事を思い出しました。亡くなってからの方が かえって身近に感じれ、もう一年も過ぎたとは信じられないくらいです。 お寺のご住職の読経は 相変わらず 何を言っているのかさっぱりわかりません。阿弥陀経を読まれているということと「阿弥陀様の大願は 一切の衆生を救うことであるから 阿弥陀様に帰依すれば救われますよ。」と 言われているらしいことだけは わかりましたが、生きていた時に聞いてわからないお経が 死んだからといって急にわかるようになるとは とても思えないのですが、あの読経で 亡くなった人に 引導を渡すことができるのでしょうか。もちろん義母は とても正直な人で いつも家族のことを思って生きてきた人ですから 天国に還っていると信じていますし、亡くなって3ケ月が過ぎた頃、綺麗な家から 幸せそうに出てきた義母の夢を見て その思いは確信に変わっています。それにしても、故人を偲んでいろいろな話をしたり、ご住職にそうした法話をしていただける機会だと思っていたのに 意味不明の読経を聞き 世間話をしながら食事をしただけで終わってしまった、なんとなく残念な一周忌でした。 |
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| 12. 5 | 仕事をするのは「念い」 私達は 職場や家庭、地域などで それぞれ自分の役割を果たしながら 暮らしているわけですが、本当に仕事をするのは 仕事能力の高さではなく、その人の「念い」なのだと思います。どのようにすれば 相手に喜んでもらえるか、常に そのように考えている人は 仕事のできる人に育っていきます。たとえば……。当たり前のことですが、自分がミスをしたり、仕事が遅くなれば 多くの人に迷惑がかかるということが 本当にわかっていたなら、仕事を正確に早くするという意識がハッキリとしていますから、徐々に仕事能力が高くなっていきます。また 顧客や上司、同僚を大切に思ったなら 自分がしてほしいように 仕事をしていくことができるでしょう。ここには 愛の思いが込められています。その思いが やさしい言葉や態度につながり、良い人間関係を築くことにつながっていきます。相手のことを思えばこそ、適切なアドバイスや 指導もできますし、そうした際にも 相手に対する配慮ができるでしょう。すべては念いです。仕事を通して社会に貢献することが喜びであるという念いがあれば 創意工夫が生まれ、良い仕事ができ、その結果 多くの人に喜ばれ、自らも喜びの中で仕事ができるという 素晴らしい循環が始まっていくのだと思います。「仕事がつまらない」そう思う時には 仕事に対する情熱、仕事の向こうにいる人達に対する愛が足りないのではないかと 自分の念いを振り返ってみるといいですね。 |
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| 12. 4 | 母親の楽しみ 街中がクリスマスの装いになりました。クリスマスツリーにリース、トナカイやサンタの絵が白く窓ガラスに描かれ、ポインセチアの赤と緑がとても鮮やか。ライトアップされた木々の上で点滅しているライトは こころをわくわくさせてくれます。子ども達が小さい頃、クリスマスには お菓子の入った大きなブーツを買いました。いつも あまりお菓子を置かない方針だったので 子ども達は毎日少しずつ とても楽しみにして食べていたっけ。クリスマスプレゼントを サンタが運んでくると信じていたのは いつの頃までだったか……。ツリーを飾り プレゼントを準備して クリスマス前にある息子の誕生日も重なって 12月は本当にあわただしく、夜遅くにケーキを買いに走ったことも度々ありました。でも そうしたことをいろいろと考えるのは 本当に楽しかった。今は夫と二人。今年はツリーも出していなくて、玄関に飾ってあるポインセチアが唯一12月の雰囲気。クリスマスチャイムでも出そうかな。子どもが生まれて いつのまにか子ども達がイベントの中心で、二人ともいなくなったら 我家は年中イベントとは無縁になってしまった。子ども達がいたから 子供達が喜んでくれるから あんなにいろいろなアイディアが出てきていたんだなぁと いまさらながら感じている。楽しませてくれてありがとう。我家の子供達。 |
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| 12. 3 | バトル・ロワイアル 今朝 サンデーモーニングで「バトル・ロワイアル」という映画について 国会議員と監督が話している時の様子を放送していました。それは 中学生がバーチャルの世界で殺しあうシーンの出てくる映画で 15歳未満禁止のR指定がされたそうです。議員は「では16歳、17歳ならば見ても影響を受けないといいきれるのか」と反対し、監督は「臭いものにフタぱかりではいけないのではないか。大人が子どもを信じていないことの方が問題だ」というような反論をしていました。番組のゲストの脚本家も「光を描くためには 闇を描く必要もある」と肯定的でしたが、私は 子どもや人間の善性を信じることと、バーチャルの世界とはいえ、ありえないようなストーリーの中で 人の残虐性を描いたものを 子どもにみせたくないと判断することは 別の問題だと思います。人の弱さや残酷さ、ずるさや汚い部分といった「闇」を知ることは 現実に起きた事件からでも 十分にできます。そうした社会問題について 家族で話し合い、自分自身で こころを見つめることの方が 必要なのではないでしょうか。また 素晴らしい映画を見て、こころが洗われる思いがするように その反対の影響もあるのだということを 監督が知らなさ過ぎるのではないかと思いました。「善をなそうとする者は 悪についても知る必要がある」これは真理だと思いますが、善とは何かを知らない人が 究極の悪を見たらどうなるのか……。悪を描いた映画をまったく影響を受けることなく見ることのできる人がいるとしたら、それは、「人間の本性は絶対的なる善である」と こころから信じられる人だけなのではないかと思いました。 |
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| 12. 2 | 本質を見抜く目 『正見』とは「正しく見る」こと。私達が 物事の正邪を判断する際には この本質を見ることが大切だと思いますが、そうした習慣がなく 世間の評価を自分の価値判断の基準としている人が 多いような気がします。しかし、世間で評価の高いものが 全て正しくて、素晴らしいわけでもなく、世間の人には 理解されない真実もあります。極論ですが、「たまごっち」と「ガリレオの死」。あれほどブームになった「たまごっち」 一時は 品切れ状態で 子どもや、孫の為にと多くの人が店頭に並びました。それほど 価値のあるものだったのでしょうか。 ガリレオは コペルニクスの地動説を立証し、宗教裁判にかけられて 毒杯をあおりました。地動説こそ真実なのに……。 「愛の教え」を説き 多くの人のこころを救った イエスキリストも十字架にかけられて死を迎えましたね。世間の評価というのは 時として このように真実を見ていないことも多いということを 知っておく必要があると思います。ですから、自分が知らないことについて 世間の評価やうわさ話を信じて それをもとに判断をするのではなく、できる限りの情報を集め、自分で考え、自らのこころで判断するようにしたいものです。もし 間違った判断をしたと思ったなら やり直せばいいではありませんか。自分で下した判断だから 自分で責任がとれるのです。こうした判断の積み重ねが、本質を見抜く目を育てていくのではないかと思います。 |
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| 12. 1 | 思いの反省 不用意に 言葉を発してしまったり、軽はずみな行動をして 失敗をした時に、その言動について反省をすることは よくあると思いますが、(あぁ、悪いことをしてしまった。これからは気をつけよう)という反省だけで すませていることが多くはないでしょうか。それで同じ事を繰り返さなければよいのかもしれませんが、私は 何故そのような言動をとったのかという 「思いの部分」を見てみることが大切だと思っています。不用意な言葉が原因でトラブルがあった場合、「言っていいことと悪いことがある」とか 「言葉を選んで話さなければならない」という反省をする場合が多く、それは その通りだと思いますが、そうしたことばかりに 気をとられていたら 自由に人と話すことが難しくなってしまいます。言葉に出てくるということは 心の中にそうした思いがあるということ。 口に出してはいけないことは 思わない。もし、そうできれば 安心して こころのままに話すことができますね。「思うだけなら勝手でしょ。言わなければいいんでしょ」と思うかもしれませんが、私達の本質は「こころ」 元々は こころで思ったことが そのまま実現する世界の住人です。自分自身の思いが、自分の住む世界を決めるのです。そのことを よくよく心して、思いの部分を 反省する・こころの中を点検する習慣を身に付けたいと思います。 |
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