Cross my mind 42  2000 11.1 to 15             

毎日の生活の中で思い浮かんだ さまざまな事の中から・・・ since'99 2. 7
皆様のご意見を  & でお待ちしています 
11. 15 自己犠牲は愛でしょうか?
自分を殺して相手を生かす。相手の為に自分の思いを我慢する……。「自己犠牲は 最高の愛である」という言葉を 以前 読んだことがありますが、私には 少し疑問です。誰かの犠牲の上に 本当の幸せが成り立つかどうか、逆の立場から考えてみると わかるのではないかと思いますが、貴方が幸せの真っ只中にある時に、「貴方の為に 私はこんなことを我慢したのよ。私が犠牲になったの」と 言われたとしたら、又は 口に出さないまでも そう思っている人がいると知ったら、それでも心から幸せだと喜んでいられますか? 自分が犠牲になって 誰かを幸せにしたと思っていても そう思っているのは本人だけで 実は 相手の心に負担をかける結果となるような気がします。また 自分が犠牲になると思った時点で、相手の幸せを願ってという言葉が 真実ではなくなるような気がしてきます。親が子どもを育てる時に どんな苦労があったとしても それで犠牲になったとは思わないように、そのようにすることが 真実自分にとって うれしいことであれば、「犠牲」という言葉は 出てこないと思うのです。
誰かの幸せを願って何かができるということ自体に喜びを感じる気持ちを 『愛』というのではないかと思います。
11. 14 『愚か』とは?
「人間は本当に弱いものですよ。そして、愚かでもあります」これは 人に道を説く立場にある方から 言われた言葉です。本当にそうでしょうか。私は 弱い自分も、愚かな自分もいるけれど、本当の自分というのは 強く、智慧あふれる素晴らしい存在だと思っています。また それが人間の本質だと信じています。どん底の苦しみを乗り越えてたという方が よく言われる 「人間って 思っていたよりずっと強いものなんですね」という言葉が 人間の強さを物語っているような気がします。人とは 自分が気づかないだけで そうした強さを秘めているものなのでしょう。
『愚か』ということについては 少し思うことがあります。どんな人も間違いを犯すことはあります。失敗もあります。そうした間違いを犯すことをもって 愚かとは 言わないのではないか。本当の愚かさとは 自分の間違いに気づいた時、あるいは 自分の選択すべき道がこころでわかっているにも関わらず、自我やプライドが邪魔をして、間違いを認めない、あるいは 選択すべき道ではない道であることを知りながら 突きすすんでいってしまうこと。そうしたことを言うのではないかと思います。本当の自分というのは 決して弱いものではありませんし、愚かでもありません。どうか そのように自分自身を信じ、本当の自分に出会い、自らを輝かせてくださることを願っています。
11. 13 夢を語れる幸せ
皆さんには どんな夢がありますか?3億円の宝くじが当たらないかなぁな〜んて 本当に夢のようなことから、何年後には こんなことをしたいなという 目標に近い夢とか、いろいろとあると思いますが、語れる夢があるということは本当に幸せなことだと思います。人は夢と希望があれば いつまでも元気で充実した毎日を暮らしていけるのではないでしょうか。子どもが小さくて なかなか動きがとれないとか、経済的に苦しいとか なかなか楽天的には考えらない状況にある人も多いと思います。日本全国 不況のかげりがまだ色濃くて そうした話の方が多いのかもしれませんね。しかし、そんな時こそ 語れる夢をもってほしいと思います。子どもだって いつまでも小さいわけではありません。後になってみれば 子育て期間なんて本当にあっという間です。子どもが大きくなったら こんなことがしてみたいとか、大きくなった子供達とこんなことがしたいとか。3年後、5年後といった 少し先の夢や、何十年後といった ずっとずっと先の夢。どんな夢でもいいですから、夢を描いて、その夢がかなうように 少しずつ少しずつ前進していけば、心はわくわくして 毎日がとても充実してきます。また 夢を人に語ることによって いろいろな応援が得られるようになり、気がついたら 夢がかなっていたという人も 実は多いのです。夢を語れる幸せ、貴方は日々実感していますか? 
11. 12 「くれない」の心                    (11.13記)
寂しい、つまらないと思っている時 自分の心の中をのぞいてみると……。
誰かに 何かをしてほしいと思っているのに「してくれない」という気持ちが うずまいているような気がします。「○○してくれない」などというハッキリした思いでなくても、たとえば 「○○してくれればいいのに」とか 「○○してくれようとは思わなかったのね」と相手を責めるような思い。これは結局のところ 自分に対してしてくれなかったという「くれない」の心です。このような 相手に求める心を 「奪う愛」と呼んでいますが、この心があると 満たされない思いばかりが募って なかなか幸せだと感じることはできないようです。反対に 誰かの役にたつことができたとか、誰かが喜んでくれたという思いは 心の中を幸せ感でいっぱいにしてくれます。こちらは「与える愛」の実践ができたということですね。
どうしたら 人に喜んでもらえるだろうか。そうしたことを いつも考えていたら、心の中は ほんわりあったか。少なくとも 寂しいという思いは消えると思うのですが、どうでしょう。寂しくてつまらなくて 何をする気にもならないとき、そんな時は 自分の心の中に この「くれないの心」が芽を出しているのではないかと 考えてみると良いように思います。自分は『与える愛』に生きているか?その問いかけを いつも忘れないようにしたいと思います。 
11. 11 物事はシンプルに
物事は シンプルに受け止めるのが一番かなぁと思います。よく考えるとか 考え抜くというのも大切なことですが、疑いの目で物事を見ていると いつまでたっても堂々めぐり。特に 証明のできないことを疑い始めると どうしようもない泥沼にはまり 心ざわつく日々が待っています。天使がいると言う人がいれば 自分には見えなくても そうした存在を感じる人がいるのだなぁと思えばいいと思いますし、それを信じたとしても 何の不都合もないのではないかと思います。仏や神といった存在についても同じです。昔から 日本のあちこちには 神社があって 氏神さまという 地域を守る神様や「八百万の神」と言われるように 様々な神様が祭られていました。死出の旅立ちの準備の為に 通夜があり、この世への執着を絶つ為に お葬式をします。その後も法要と称して 故人を偲び、供養する時をもちます。今では 供養できるほどのお経を読める僧侶も少なくなり、内容的には疑問もありますが、少なくとも これだけのことをしていながら、「人間は 死んだら終わりだ」と言い切れる人は 何を根拠にそう言うのでしょうね。「信仰」というのは 「鰯の頭も信心から」と言うように 心の迷いを取り除くための方便で、原始的な人が信じていただけだという人に伝えたい。「それが 実は『唯物論信仰』なんですよ」と。
物事は シンプルに考え、幼子のような心で、素直に受け止めていきたいと思います。 
11. 10 カラフルタウン岐阜オープン!!
羽島インターチェンジから約10分。羽島郡柳津町に トヨタの車の展示場&10スクリーンのシネマ&アミューズメント&レストラン街&ショッピングセンター&365日営業の銀行等が一緒になった ビッグなモールが誕生しました。以前から注目していましたが、実際にオープンしたモールに出掛けて 今までにない発想と 素晴らしい空間デザインに驚きました。まるで アメリカの郊外型のショッピングモールのようです。日本に初めてコンビにをオープンさせたイトーヨーカドーと 常に世界を見据えて車の販売をしてきたトヨタの合同だったからこそ 生まれたものなのかなぁという気がしました。ただ、このモールがオープンしたことで かなりの打撃を受けるところがあるだろうと思うと 少々複雑な思いがします。車で5分ほどの場所には ジャスコとサティがあります。ジャスコでは モールオープンの今日 朝7時からの早朝バーゲンという 今までにない営業をしています。お歳暮シーズン、年末商戦を控えて 安売り合戦にも拍車がかかるのでしょう。どんな商売も ずっと安泰ということはなく、こうした脅威にさらされることも常ですが、そうした現実を目の当たりにすると 現実の厳しさを思い知らされます。こうした中 お互いに 新しい発想で、よりよいサービスの提供をしようと切磋琢磨してもらうのは ありがたいことですが、自社の利益確保の為に 下請けイジメに走らないことを 心から願います。
11. 9 世の中が悪いなら良くしよう
今日本で、世の中が悪いと思っている人、未来に希望がもてないと言う人が とても多いそうです。数字は忘れてしまいましたが、半数以上の人がそう思っていると 新聞に書かれていたような気がします。人の「念い」は 大きな力をもっています。個人の思いもそうですが、集合想念というか 多くの人の念いは もっと大きな力をもっています。ですから、少数の人が 世の中が良くなることを信じ、多くの人の幸せを願って生きていったとしても 大半の人が 世の中が悪いとか、悪くなっていくと思ったなら やはりそうした悪い方に向かっていってしまいます。また 「世の中が悪い」と言っている人が 自分はよくしようと努力をしているかと言えば 結構そうではなくて、愚痴や不平・不満、暗い想念をふりまいて 自分自身が 悪くしている要因となっていることに 気づいていなかったりもします。まず 私たち一人一人が「世の中を良くしよう。よくできる」と思い 信じることが大切だと思います。そして 少なくとも自分自身は 生命あること、無事に毎日を過ごせることに感謝して、他の人の幸せを願いって生きていくぞと決意をしてほしいと思います。幸せだと思って生きていく人が増えれば、悪しきことは 自然と少なくなっていくでしょう。世の中が悪いと嘆くだけでなく、良くしていこうと 積極的に善い思いを出し、行動していける人が 増えていくことを 心から願っています。輝かしい21世紀とする為に!!
11. 8 最近のペットショップ事情を見て
テレビで 東京のペットショップの様子を見て驚きました。犬の誕生日に 5,000円のバースデーケーキに 1,200円のオードブル。ペットホテルには 雨の日の運動用に ルームランナーがおかれ、泡がブクブク出てくる ジャグジーバス、買主と一緒に寝られるベットもありました。人間用の施設とほとんど変わりないこのホテル、利用料も かなりかかるのでしょうね。ベットを大切に思う気持ちは わかります。世の中には お金が余っていて ペットの為に使うお金が惜しくない人も きっと多いのでしょう。しかし、ジャグジーバスに入って、ルームランナーで運動し、ケーキを食べて ペットがどれほど喜ぶというのでしょう。ただの お金もうけ商売に うまくのせられているだけではないかと思ってしまいました。
お金というのは 本来は 有効に使ってくれる人の下に集まるのだと思います。晩年のカーネギーの言葉にもあったと思うのですが、「富を持つ人は その富を社会に還元する義務がある」 お金を持っている人が それをどのように使おうと それはご本人の勝手かもしれません。義務であるなどと言い切ることは 私にはできません。しかし、できることならば より多くの人の幸せのために、社会全体が良くなることのために 使ってもらえたらうれしいなと思うのは 私だけでしょうか。豪華なペットショップを見ながら そんなことを思いました。
11. 7 一なる仏から分かれた魂だからこそ
「あなたって、魂という言葉が好きよね」と言われたことがあります。ソウルメイトという言葉がピッタリくるような人との出会いを ネット通しても体験し、人が魂の奥底でつながっているという実感を何度もしていますが、『魂』や『心』といった 私にとって 本来の自己を表す意味で使っているこうした言葉が 不思議に響き、違和感を感じる人もいるのだなぁと思うこの頃です。私の年代は 学校で「ダーウィンの進化論」を教えられました。一方で 「アダムとイブ」のように 人が創造主によって創られたという話もあり、どちらが正しいのか それを証明することは 誰にもできないのではないかと思います。しかし、もし 人がアメーバや サルから進化したものだとして、生きているこの世界だけが全てで 死んで肉体が灰になったらすべてが終わりで、結婚相手も親子関係も、友人関係も偶然の産物として現われた相手だとしたなら、人間のどこが素晴らしく、どのように生きていけば 人生が輝くというのでしょうか。イエスさまは 「人類はみな兄弟である」と教えられました。人間神の子という 日本神道系の宗教団体の教えもあります。「私達は 一なる仏から分かれた仏子(魂)であり、人は別個の存在ではなく、ともに魂の兄弟として存在している。」そう信じることができたなら、「自分を愛するように人を愛せ」という教えも心から納得でき、縁あって出会う人達を 愛しく思えるのではないでしょうか。そこから 人生が一変することを 体験者として皆さんにお伝えしたいと思います。 
11. 6 人を思い通りに動かす?
ビジネスマン向きに出された『心理学』の本が 女性にもとてもよく売れているとのことで テレビで紹介をしていました。著者も題名も忘れてしまいましたが、それは 「心理学を利用して 人を思い通りにする」というような紹介の仕方で、たとえば お金を借りたいと思う時には、まず 少ない金額から言い出して、相手の同意を得られたら、もう少し高額を要求するとか、逆に まず高額な金額を言って、それだダメなら 段段にその金額を下げるなど、相手を説得 もしくは 自分の申し出にNOといえない誘導をするというような テクニックが書かれているようでした。人との関係は すべて心理学が応用できるというのが 著者の言い分のようでしたが、聞いているうちに 少し違うような気がしてきました。確かに ビジネスにおいて 話のもっていきかた、テクニックのあるなしで 成功、失敗が分かれることがあるかもしれません。しかし、それは テクニックの問題ではなくて、実際には 仕事に対する情熱や、相手に対する関心、配慮、愛情や優しさといったものが 相手に伝わっているのではないかと思うのです。そこに気持ちがなく、テクニックですべてを思い通りにできると考えたなら いつしか 心無い人として 信頼を失うという大きな落とし穴があるような気がしました。そもそも 人を思い通りにしようとするのが 無理な話ですよね♪
11. 5 今このときを大切に
今日は 私の両親と夫と4人で せせらぎ街道を通って、清見村、荘川に回り、温泉に入って 紅葉めぐりをしてきました。お天気もよく、紅葉は所々終わっていたけれど、あたたかな色に変身した 山々がとても素敵でした。小さかった子供達が大きくなり、それぞれが家を出て、一緒に出掛けることも ほとんどなくなって 今は大人4人。 こうしてふらっと 紅葉を見にいけるようになったんだなぁと思うと、なんだか不思議な気がしました。子育てをしている最中は 早く大きくなぁれと思っていたのに、過ぎてしまえばあっという間。本当に短い間だったんだなぁと思います。子育てをしていると つい自分の時間がなくなって、イライラすることもあるかもしれませんが、やっぱり楽しんで欲しいなぁと思います。本当に子どもなんて あっという間に大きくなってしまうのですから。夫と二人の生活や 両親と こうしてふらっと旅に出られるのも いつまで続くかわかりません。それは 決して悪い意味だけではなく、誰かが仕事で忙しくなっても、子供達が結婚したり 家に戻ってきたりしても、生活はやはり変わっていくでしょう。どんな時間も 永久に続くことはありません。だからこそ、どんなことも、どんな時も 心から楽しみたい、大切にしたいと思います。 
11. 4 不思議な話ですが……。
皆さんは『魔』の存在を信じていますか?『魔』の多くは、人を恨んだり憎んだり、必要以上にこだわったり、自己卑下をしたりといった 自分の暗い心が呼び込んでしまうのだと思いますが、その人が仏神の手足となって ユートピアづくりを目指そうと決意した時にも やってきます。きっと その人がバリバリと頑張ると困るので 邪魔をしにくるのでしょうね。普通の人が すこ〜し天使として目覚めただけでも そうした邪魔が入ってくるのですから、お釈迦様や イエス様のような方々が受けられた魔の攻撃とは どれほどすさまじいものだったか、想像するだけでも恐ろしくなります。しかし、目覚め始めたばかりの天使にやってくるような魔は そうと見破られるとあっという間に退散しますから、こわがらないのが一番です。魔は電気系統にイタズラをすることが大好きで 壊すのも大得意。「真理」を書いていると、急に文字が書けなくなったり、保存したはずの文書が消えたり、ソフトの強制終了や パソコンのフリーズも頻繁になり、本当にいろいろなことを やってくれます。でも、その結果 それが魔の嫌がること、つまり仏神のお役に立つことだと わかってしまうから可愛いなぁと思います。「魔」も もとは仏神の子。ただ それを知らないで迷っているだけの存在なのだと思えば、怖くはありませんね。そんな不思議な話が 結構あるんですよ♪ 
11. 3 夜叉が池 初登山
福井県今庄にある 「夜叉が池」に 岐阜県坂内村の登山道から登ってきました。ハイキング気分で 気軽にでかけたのですが、雨が降った翌日で 濡れた落ち葉とぐちゃぐちゃの山土、急な坂道に嫌な予感。やはり 所要時間1時間半の登山なめちゃいけませんねぇ。いい加減歩いて疲れた夫は、下りてくる人に「もう半分くらいですか?」と尋ねて爆笑されました。「5分の1くらいかなぁ。もう少し行くと4分の1地点につきますよ」「やめようぜ〜」と泣きが入った夫に 「せっかくきたのだから」と言うと しぶしぶ歩き始めました。しかし、素晴らしいと言われる所には やはり行ってみるものです。見る見るうちに山の色が変わってきて、赤や黄色、緑に白と色とりどりに変身した木々が姿をあらわしました。山全体が本当に美しく凛として、聖域の雰囲気さえ感じました。「途中で引き返していたら、この景色は見られなかったんだよね」そう言うと、ダンナさんも 「そうだなぁ」と とても嬉しそうでした。私達が登っていくと、雲がきれ、遠くの山には光が射して 別世界のような感じがしました。夜叉が池も 池の周りに少し紅葉が残り、とても幻想的なたたずまいを見せてくれました。もう皆が下山した後で 私達のほかには二人の男性登山客だけ。「お昼頃には ガスがかかっていて ほとんど見えなかったんですよ」と言われて あらためて素晴らしい景色を見せていただいたことに 感謝!往復3時間以上、慣れない私達には ひざが笑ってしまうほどハードな登山でしたが、心にいっぱい宝物が増えた気がしました。
来年も こりずに行くんだろうなぁ。夫婦共に、もう少し足を鍛えねば(^^;)
11. 2 弱さを受け入れる強さ
「人間は本当に弱いものですよ。そして、愚かでもあります」と ある方から言われました。私は 本当の自己とは 限りない愛と 愛ある強さ、素晴らしい智慧を秘めた存在だと信じていますが、愚かなことをして後悔したり、様々な問題に悩んで、弱いこころが出たり、その弱い心に負けてしまうこともあるのが人間だと思っています。しかし、もし、人間の本質が 弱くて愚かだとしたら 人はどのように生きていけば良いのでしょう。何かに頼り、すがって生きていくのでしょうか。私は、自分の弱さ、愚かさ、醜さ……。そうした目をつむってしまいたい部分も 素直に受け入れ、認めながら、真実の自己に近づけるよう 努力していきたいと思います。その過程に 自らが成長する喜びと、幸せがあることも知っています。私とは 正反対の考え方。どちらが正しいのか 私には証明できません。ただ、どちらを信じたら、より幸せになれるかと考えてみてほしいのです。仏神の存在を信じ、その心を学び、その仏神の心を心として生きていこうという気持ちを忘れないで、自分の素晴らしさを発見していけたなら、本当に心からの幸せを感じることができると思います。ただ、仏神を信じず、自らの存在が最高であると思った時には、傲慢になる危険がありますから、常に自らの心を振り返ることが大切だと思います。自分の弱さや醜さを受け入れながら、自己を否定しないというのは 実は「強さ」なのかもしれませんね。
11. 1 信じる
どんな人でも 信じることができます」と言い切れる人は どれほどいるのでしょうか。裏切られた時の傷が癒えず、心のどこかで 信じきれないことを悩み苦しんでいる人の方が 多いのかもしれません。しかし、人の善なるを信じ、自らも無限の可能性をもった 善なる存在であることを信じて 生きていくことができれば、本当に喜びに満ちた日々を過ごすことができます。確かに 世の中には人を騙そうとしている人がいます。そうした被害に遭って 大切なものを失ってしまう人もいます。そんな人のことでも信じるのですか?騙されたら どのように責任をとってくれるのですか?と そんな声が聞こえてきそうですが、人の真実の姿は やはり善なるものです。ただ、その人自身が 自分の存在がそのように 素晴らしい善なる存在であることを知らず、この世的な 地位・名声・金銭といった極端な欲に引きずられ、暗い思い、人の不幸を願う気持ちなどがあると、そのような念いをもった者が集まってきます。そして 人間ではない邪悪なるものも 引き寄せられるように集まってくるのです。ですから、そうした者たちに 人をだますという罪を犯させない為にも、それを見破る知恵が 必要になるのだと思います。
私たちのこころには 思いを実現する力があります。私達は 仏性をもち、無限の向上を目指している尊い存在です。そのことを どうか怖がらないで信じてください。それを心から信じることができたなら、それ以前と全く違った幸せを実感する世界が展開してくると思います。
2000年 (22)1.1〜15 (23)1.16〜31 (24)2.1〜15 (25)2.16〜29 (26)3. 1〜15 (27)3.16〜31
(28)4.1〜15 (29)4.16〜30 (30)5.1〜15 (31)5.16〜31 (32)6.1〜15 (33)6.16〜30
(34)7.1〜15 (35)7.16〜31 (36)8.1〜15 (37)8.16〜31 (38)9.1〜15 (39)9.16〜30
(40)10.1〜15 (41)10.16〜31
T2.7〜21 U 2.22〜3.6 V 3.7〜21 W 3.22〜4.6 X4.7〜21 Y 4.22〜5.6 Z 5.7〜21
[ 5.22〜6.6 \ 6.7〜21 ] 6.22〜7.6 J 7.7〜.21 K 7.22〜8.6 L 8.7〜21 M8.22〜9.6
N 9.7〜21 O9.22〜10.6 P10.7〜21 Q 10.22〜11.6 R11.7〜21 S11.22〜12.6 (21)12.7〜31


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