Cross my mind 40  2000 10.1 to 15             

毎日の生活の中で思い浮かんだ さまざまな事の中から・・・ since'99 2. 7
皆様のご意見を  & でお待ちしています 
10. 15 言葉と心                           (10.17記)
「言葉って 本当に気をつけて話さないと、相手の為と思っていった言葉が 相手を怒らせたり、傷つけてしまうことがあるのね」本当にそうだと思います。人それぞれの価値観があるし、思考パターンも性格も違っているのですから、自分の経験した解決方法が どんな人にも通用するわけでもなく、同じ状態にあるからといって 原因が同じだとも限りません。ですから、自分の体験や 考えを押し付けた時には 相手のためになるどころか 相手の心を波立たせてしまうのかもしれないと思いました。しかし、相手を傷つけないようにと、そればかりを気にしていたら 本当に大切なことも言えなくなってしまいます。そんなことを話していて気づいたのは「心にもない言葉は出てこない」ということでした。つまり もし人を傷つけてしまったとしたら、やはり 自分の心の中に 少しでも 相手を傷つけてしまう思いがあったのではないかということです。自分の思いと まったく違う受け止め方をされた時には、そんなつもりではなかったと つい言い訳をしたくもなりますが、それさえも 相手のそうした思いを 理解できていなかったという落ち度が 自分にあったということなのかもしれません。
愛がいっぱいつまった心だったら、思いのままを口に出した言葉が 誰を傷つけることも 怒らせることも 悲しませることもないのかもしれませんね。そんな心になれたらいいな。
10. 14 天使の微笑み
西武球団の松坂大輔投手が 球団の車で無免許運転をした上に、駐車違反をし、球団の黒岩広報部長が身代わり出頭していたことが判明して、二人とも書類送検されました。松坂投手は 無期限の野球活動停止、黒岩広報部長は 辞表を提出せよとの 厳しい処分が 堤オーナーから言い渡されたようです。「他にも こうしたことをしている人はたくさんいる。運が悪かったなぁ」と同情的な人もいるかもしれませんが、私は、このように早い時期にわかって 本当に良かったなぁと思います。松坂投手は まだ20歳。オリンピックに旅立つ前夜に 彼女の所に行きたい気持ちも、免停中とはいえ、つい運転してしまった気持ちもわかるような気はします。翌日から オーストラリアに出発した為、自分で車を引き取りに行くこともできず、黒岩さんが身代わりで出頭したことを後で知ったというのも本当でしょう。しかし、本人も言っていましたが、やはり考えが足りなかったと思います。彼の不用意な行動が、一人の人間を辞職に追いやってしまったのです。
「ひとりは みんなの為に」と 懸命に投げてきた松坂投手。それは グランドの中だけでなく、実社会の中でも同じであること、西武の松坂としての責任がどれほど大きいものであるかを考える良いチャンスだと思います。そして、このことを彼がどのように受け止め、変わっていくかを そっと見守る天使がいるような気がします。
悪いことをした時は 早くばれるのが、一番いいですね。
10. 13 実践
本や人の体験、言葉等から いろいろな人生、様々な考え方を学ぶことは とても良いことだと思いますし、そうして得た知識や 考え方は、毎日の暮らしの中でも 大いに役立ちます。しかし、いくら多くの知識を詰め込み、考え続けたとしても 頭の中にあるだけでは 本当にわかったとは言えないと思います。知識は、実践を通して 初めて自分のものとなるからです。『愛』について1時間語るよりも、そっと横にすわって 話を聞いているだけの方が、相手にとって 嬉しい時がある。心の無限の力について 百回語るよりも、それを証明する人達が 数人いれば、信じてもらえるのではないでしょうか。また、実体験の中から 自らつかんだものは、どんなに偉い人が語った言葉よりも、本人にとって宝となるのだということも 心に留めておきたいことです。
学んだことを 実践し、さらに学びへとつなげていく……。そうして日々生きていくことで 成長し、自らと そして他の人をも 幸せに出来る人となれるのだと思います。人の心に伝わるのは、心の底から湧き出てくる感動であって、決してたくさんの知識ではないということを 忘れないようにしたいと思います。
10. 12 勇気という鉞(まさかり)
正しいと思うことを 「正しいと思う」と言える社会にしたいと思います。童話「裸の王様」に出てくる、王様の取り巻きのように ご機嫌取りの為に 王様の言いなりになる人が多い社会。まわりの人から ハバにされることを恐れて、間違っているのにと思いながら 皆に同調する人が多い社会は 嫌です。青臭いと言われようが、自分が正しいと信じていることを 堂々といえる自分でありたい。また 多くの人にも 主張していただきたいと思います。たとえば……。
あの世と言われる死後の世界の存在。八百万の神とも呼ばれる神の存在や 天使や悪魔の存在。そうしたものを 信じていると言うことは そんなに怖いことでしょうか?信仰をもっていると言ったら そんなに変な目で見られるのでしょうか?私には どうしてもわかりません。ただ、変な人だと思われるのではないかという恐怖が 自分の中にあるだけではないのかなぁと思うのですが 本当のところはどうなのでしょうね。死後の世界のことも 神さまの存在も 存在の証明はできないけれど、「信じる」と言うことはできます。汚職やその他の事件でも、自分が知っていることを 隠さずに話すことはできるはずです。ただ 恐怖に負けると 黙ってしまうのですね。
私たちの心の中には 「勇気」という鉞があります。鉞をふるい、恐怖心を打ち負かし、正しいと信じることを 堂々と主張できる人が増える社会になることを 心から願っています。
10. 11 子の幸せ 親の幸せ
親子の縁を結んできたことも忘れ、子どもは親の言いなりになるものだと信じて疑わない親がいます。親が子どものことを思うのは 当たり前なのだから、愛されていないと感じる方がおかしいという母親もいます。心が通わないと寂しく感じ、60歳を過ぎて尚、親の愛を感じることができなかったコンプレックスから立ち直れない人を見ると、親の存在の大きさを感じます。また 親子であっても 気持ちを伝えることは 本当に難しいものだと思います。
親が思う子どもの幸せと、子ども自身が求める幸せが違ったらどうすればよいのでしょう。子どもを勘当し、親の威厳を保ち、出入り禁止にすれば それでいいのでしょうか。
親の一番の幸せは、やはり 子どもが 日々幸せだと感じて暮らしてくれることだと思います。ですから、たとえ「親の言うことが聞けないなら 出て行け」といわれても、まず自分が幸せになってほしい。いつか必ず わかり合える日が来ると信じて 自分の幸せをつかんでほしいと思います。
何があろうと 親子の契りを交わしてきたという事実は変わりませんし、親子の絆が切れることもないということを 忘れないでくださいね。
10. 10 懺悔
教会で小さな部屋のようなところに入り、顔 が見えない状態で 自分の犯した罪を 神父様や牧師様に聞いてもらう『懺悔』の様子を 映画などで見たことがあります。いくら顔が見えないと言っても 小さな村なら 声や様子でどこの誰が話しているか わかってしまうんじゃないかなぁ。神さまに聞いていただくつもりなら、何も そうした場所で口に出さなくても 自分の思いの中で 反省すればいいのにと思いましたが、心清く生きていくのには 不可欠なことだったのでしょうね。
紙に書くという形の「懺悔」をしてきた人の話を聞きました。「今までに自分が犯した罪を 全て書くことで その罪が許されます」と言われ、書きに書いたら 胸の中がす〜っとして、爽快になり、心が軽くなったそうです。許されたかどうか、それはわからないことかもしれませんが、少なくとも 書くという行為によって、自分が罪として認めるということが大切なのかなと思いました。
人は みな仏性を持っていますが、それは 何の努力もせず そのままで 仏であるということではないと思います。仏の心を理想として生き、それに反した場合には 自分の罪を、懺悔する。仏教的に言えば 反省することによって初めて 犯した罪が許され、想念帯が金色に変わり、仏に一歩ずつ 近づいていけるのではないかと思います。
懺悔と反省。キリスト教も仏教も 大切なことが 同じように説かれているのが うれしいです。
10. 9 いつでも ここにいるから
人それぞれの心があって 人それぞれの人生がある。誰も代わることのできない人生、もちろん 自分でしっかりと歩いていかなくてはならないのだけれど、できれば つらい思いを あまりしないで、生きていってほしいと願っています。ある人にとっての不幸が、また別の人にとっては幸福であることもある。この世の中に 「絶対的な不幸」は存在しなくて、酷なようだけれど、「不幸だ」とか、「つらい」と思う自分の心があるだけなのではないかと思っています。心のもち方次第で 人は幸せな毎日を生きることができる。私はそう信じ、日々自分が実証して感じたこと、考えたことを 毎日書いています。少しでも 皆が元気になってくれることを願って……。
『疲れちゃった』と さようならのメールをくれたあと、メールが届かなくなってしまったお友達。その結論を出すまでの間に どれほどの思いをしたのだろうと思ったら 涙が止まらなくなりました。疲れちゃった人が ふと立ち寄ってくれるような そんなページが作れるようになるのは いつのことだろう。何も知らなくてごめんね。役に立てなくて 本当にごめん。私はいつでもここにいます。ずっとずっと ここにいます。だから、また元気になったら 遊びに来てね。いつまでも待ってます。 
10. 8 素直さは宝
『素直でない人間は、真の魂の学習などできない』 これは 友人が大切にしている一転語です。
自分は素直に学んでいるつもりだったのに、まだまだ 心から素直になってはいなかったことに気づき、ショックだったと話してくれました。私達を善き道へと 導こうとしている守護霊(潜在意識)は 様々なメッセージを送り続けてくれています。それが ある時は ふと開いた書物の中の言葉であったり、テレビやラジオから聞こえてくる情報だったり、ふと出会った友人からの言葉だったりします。どれだけのメッセージを受けられるかは こちらの心が どれほど素直に開いているかということにかかってきます。新幹線の中で 見知らぬ人に手渡された一冊の書籍で 人生が変わった人、かつての教え子の話を聞いて 自らの生き方を考え直したという教師、子どもの一言で 自分の過ちに気づいた大人もいます。みな 心素直に そうしたメッセージを受けられたからでしょう。自我が邪魔をして そうしたメッセージに心を閉ざしたとしたなら、魂にとって 本当に大きな損失になることと思います。「自分の人生、自らの力だけで切り拓く」という意思は 一見立派なようですが、実は感謝の足りない心、自我の塊で生きていることになると思います。素直な心なくして 真の幸せに気づくことは難しいでしょう。「人がなんと言おうが俺は俺。人のことは関係ない」そう言い切る息子に 一番伝えたい言葉です。お〜い、聞いてるかい?
10. 7 奇蹟を祈って
昨日 乗鞍で素晴らしい紅葉を見た後、乗鞍高原温泉に行きました。入泉料700円の公衆温泉。母と二人話をしながら 硫黄のニオイのする露天風呂で幸せな時を過ごし 出てくると、ズボンの左ポケットに入れてあった ペンダント2つと ピアスがなくなっていました。いつも身に付けている 大切な3点セット。右ポケットにあった 1800円と携帯電話は そのままなのに……。「えっ?うそ!!」信じられない思いで 何度 カゴの下を見ても まわりを見てもありません。
肌身はなさず身に付けていた宝具と ジュエリーのペンダント。どちらも信仰の証で 他の人がもっていても あまり意味のないものです。どんな思いで 人の洋服のポケット探り、もっていったのか 誰かわからないその人の心が とても悲しく思えました。もしかしたら、家に帰って 自分のしたことの罪に気づき、返してくれるかもしれない。そんな奇蹟を祈って「もし 返ってくることがあったら 連絡をお願いします」と 温泉のフロントに連絡先を書いて 帰ってきました。どんなに高価なものを 手に入れたとしても 決して豊かにはなれないこと、その度に 自分の心がどれほど傷つくか、気づいてほしいと思います。また 気づいてくれるような気がします。ペンダントの裏には『正心宝』と書かれてあるのですから。
10. 6 素晴らしき自然の気               (10.7記)
「今日まで天気が良いようだから 乗鞍に行こうか。」いつものように 突然夫が言い出し、写真撮影が大好きな母も誘って 3人でドライブに出掛けました。乗鞍スカイラインの車でいける山頂 「畳平」までは約3時間。雄大な山と 青空を見ながら、長野県側に下りていくと、5分も走らないうちに 突然 赤や黄色に彩られた素晴らしい景色が現われました。「きれい!」思わずシャッターをきっている私達に、「もっと先にいくと、どこを見ていいかわからないくらい 綺麗ですよ」と練馬ナンバーの車の男性が教えてくれました。
新聞にも掲載されていた 位ケ原付近の景色は本当に圧巻でした。木って こんなに綺麗だったんだ。山って こんなにも あたたかい色で迎えてくれるんだなぁ。もし誰も見ていなかったとしても、木々は こうして 毎年変わることなく、色とりどりに 自分を輝かせているんだろうな。葉の色が変わり、枯れ、落ちて、また新しく生まれ変わってくるんだな。「葉っぱのフレディ」ではありませんが、そんな思いがわいてきました。山の気というか、自然の気が 優しく包んでくれるようで 涙がでてきました。存在しているだけで こんなにも人を感動させる自然って すごいですね。
お天気に恵まれ、たくさんの人たちが この紅葉を楽しめますように。我家の恒例行事決定!
10. 5 不思議じゃない 不思議なこと
朝 目が覚めると、また新しい一日が与えられたことが とてもうれしく思えます。「今日もお役に立てますように」と祈り、笑顔と おだやかな心で 一日を過ごすことを誓うと、体が あたたかくなってきます。熱くなってきたら 起きだして活動開始。目覚めてから3分の朝の時間。
その日にしなくてはならないことや 会いたい人、話したい人のことを考えながら 一日をスタートさせると、思ったことが どんどん現実となってきます。お昼頃 (渡したいものがあるなぁ)と思っていた人に、夕方出掛けて行った先で バッタリ会いました。そこで会ったのは初めて。「あら〜、丁度良かったわ」 帰りの車の中で 高校時代の友人のことを ふと思い出しました。1時間ぐらい後になって 電話がかかってきて ビックリ!「今日 丁度 貴方のこと思っていたのよ」なんと3年ぶりの電話ですから、とても偶然とは思えません。
最近 やたら多い こ〜んな不思議なこと。でも、天国では 思った途端に 自分の思いが実現するそうですから、不思議じゃないのかな。時間が少しかかるのは 地上の悲しさ。ならば 思った瞬間に 電話がかかってきたりするようにも なれるのかな?なんだか 楽しみ*^o^*
10. 4 怖がる心
嫌だなぁと思いながら しぶしぶ 人に会いに出掛けていき やはり嫌な思いをして、帰ってくる。
そんな経験はありませんか?嫌だと思っている人に会うのは 誰でも気が重いもの。何を言われてもよいようにと 心の準備をして出掛けていっても、やはり最悪の状態になって しばらく落ち込む。これは 貴方に そうした思いをさせる相手の人が100%悪いのでしょうか?それとも 貴方の思い通りになっただけなのでしょうか。

私達が思っていることは、良いことであれ、悪いことであれ、潜在意識を通して相手に伝わり 自分が描いたとおりの状況を作り出す力があります。ですから、苦手な気持ちをもっていれば 相手は苦手な人として姿を あらわしますし、好意をもって オープンマインドで接すれば、会っていて心地よい人として その姿をあらわしてくれることでしょう。自分が傷つけられること、人の悪意を怖がることはありません。怖がれば怖がるほど 自分の心がそうしたものを呼び寄せること、「悪意」があるのではなく、『悪意』と受け止めている自分がいるだけだということ、相手は自分の心を写す鏡だということをこそ 忘れないでいてほしいと思います。
仏神を傷つけることが 誰にもできないように、仏神の子である私達自身も その心のあり方によって 傷つかないで生きていくことができます。どうか それを信じて、怖がる心 捨ててくださいね。
10. 3 原点に還る
人・仕事・心の宝……。こんなに幸せでいいのだろうかと思うような 出会いって ありますね。しかし、どれほど衝撃的で 素晴らしい出会いをしても、時がたつにつれて その時の感動・感謝を忘れてしまうのが 人間の悲しいところだと思います。愛して結婚した人との間を いつのまにか流れる不協和音。関心も情熱も薄らぎ 人の職業がよく見えてきてしまう仕事。何故か 輝きを失ったように見える心の宝。ブルーな気持ちになることばかりですね。
人の気持ちは変わるもの、その上 周りの環境や 相手の気持ちの変化といった 自分の責任だけではないこともあるかもしれません。それでも、愚痴・不平不満が出てきて 幸せを感じられなくなったら、原点に還って 自分の心と 向き合ってほしいと思います。
素晴らしい出会いに感謝し、わくわくして 過ごした幸せな日々があるのならば、それは やはり 素晴らしい出会いだったのだと思います。常に原点を忘れないで、出会いの時の感動と感謝を胸に 日々暮らしていきたいものですね。
10. 2 自然体
自然体で生きるということは とても難しいことですが、もし それができれば 肩の力が抜けて 本当に楽に生きていけるようになり、毎日が感謝に満ちた幸せな時間の連続となることでしょう。
自然体というのは どこにも力が入っていないということ。仮面や 心の鎧をつけることなく、自分の素のままで 在るということだと思いますが、どうすれば 自然体で生きていけるのでしょう。

私は まず 自分を良く見せたい、よく見られたいという思いを捨てて、自分はどうしたのかという 心の声を大切にすることではないかと思います。そして その為に 一番簡単に実行できることは、「ありがとう」と「ごめんね」を素直に口に出すことかとではないかと思います。たとえば 誰かに対して失言をしたと感じた場合、それを素直に「ごめんなさい」と言えるかどうか。(いやいや、あのように言わせた相手が悪いのだ)なんて 謝り損なうと、本当は謝った方がいいのに できなかったなぁという思いが 心にくもりを作っていきます。また 誰かのお蔭で 素晴らしい気づきがあったとか、すごく幸せな気持ちになれた時「ありがとう。貴方のお蔭でね……。」と素直に 相手にお礼を言うことができたなら、心は本当に晴れ晴れとするでしょうね。 
自然体であるということは 自分の心を大切にして、心のままに素直に行動し、心にくもりをつくらないということではないかと 思います。でも、その「心」とは 天使の心であることを お忘れなくね!
10. 1 光一元論 
「闇とは 光の不在であり、本来闇はない」「本来病ナシ」このように よいところだけを見ていこうとする「光一元」の思想があります。これは 光明思想とも呼ばれ とても希望に満ちた元気の出る教えですが、現実から目をそらして 光明思想に逃げた場合 やはり 良い結果は出ないと思います。光一元論は 光に満ち、病む事のない霊体で暮らしている 天国のことを教えてくださっているのだと思います。穏やかで愛に満ちた天国的な心で 日々 健康に暮らしている人も知っています。しかし、肉体がある以上 ウッカリ転んで骨折したり、風邪をひいたりすることもあるわけで そんな時には 病院に行くことも 薬を飲むことも必要でしょう。また 放漫経営をすれば会社は倒産するというように どんなことも原因があって、結果があるわけですから、常に良い結果を出すための努力は必要だと思います。子どもは神の子で ほっておいても素晴らしい人間になると 物事の善悪も教えず 放任で育てれば、やはり素晴らしい子に育つことは難しいでしょう。
本来素晴らしい教えを 自分の都合の良いように 解釈してはいけないと思います。また 光の届かないところに 闇があり、その影響を受けやすいのも この地上世界ですから、そうした悪しきものから 身を守る方法、つまり そうした闇のものと 波長を合わせないよう心を整えることの大切さも 知っていたほうが良いと思います。感謝と反省が 光の武器ですよ(^_-)
2000年 (22)1.1〜15 (23)1.16〜31 (24)2.1〜15 (25)2.16〜29 (26)3. 1〜15 (27)3.16〜31
(28)4.1〜15 (29)4.16〜30 (30)5.1〜15 (31)5.16〜31 (32)6.1〜15 (33)6.16〜30
(34)7.1〜15 (35)7.16〜31 (36)8.1〜15 (37)8.16〜31 (38)9.1〜15 (39)9.16〜30
T2.7〜21 U 2.22〜3.6 V 3.7〜21 W 3.22〜4.6 X4.7〜21 Y 4.22〜5.6 Z 5.7〜21
[ 5.22〜6.6 \ 6.7〜21 ] 6.22〜7.6 J 7.7〜.21 K 7.22〜8.6 L 8.7〜21 M8.22〜9.6
N 9.7〜21 O9.22〜10.6 P10.7〜21 Q 10.22〜11.6 R11.7〜21 S11.22〜12.6 (21)12.7〜31


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