皆様のご意見を & でお待ちしています |
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| 12.31 |
輝く未来に太陽が昇る
今世紀もいよいよ今日が最後となりました。20世紀は科学万能時代、唯物思想が大手をふり、心の大切さ、愛、優しさは隅っこに追いやられ、神なき時代とも言われました。学歴やブランド……。中身より外見、心の価値よりも、お金や名誉といった この世的な価値を追い求めた時代でした。でも、それももう終わり。そうしたこの世的な成功だけでは本当の幸福はつかめないことに 皆が気づき始めましたから。
21世紀の扉がもうすぐ開きます。真理の太陽が昇り、その光が 世の中をあますことなく照らし始めます。心正しい人、愛多き人達が もっともっとパワーアップし、皆が 自分の心の中にある愛に目覚めます。そうした奇蹟の時代に生きることを許されたことに 心から感謝しています。
新しい時代を希望が溢れる輝く時代にするのは 政治家でもなく、一部の力ある人でもなく、私達一人一人の力です。明るい未来を心に描きましょう。明日は今日より 必ず良くなる。良くしよう!と決意してください。地上に生きる私達一人一人の心が、愛と希望に満たされたなら、世界は必ず変わります。
私達は 愛 あふれる地上ユートピアを作るために この世に生まれてきた……。どうか そのことを思い出してください。心の中にある自分自身の宝石に気づき、磨き 最高に輝かせてください。
21世紀を 私たち自身の心の力、行動で輝く時代にしていきましょう!!
『成功者は、常に積極的な言葉、建設的な言葉、明るい言葉を
口に出しています。』
〜「現代成功哲学」
21世紀は2001年からなんだって(^_^;) ご指摘ありがと♪
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| 12.30 |
ネットに教えてもらったこと
1.11にホームページをアップさせて 約1年。本当に多くの素晴らしい人たちと出会い、多くのことを教えてもらった。どこに住み、どんな人生を歩んできたのかわからない、どんな暮らしをして、どんなことを悩み、どんなことに心砕いているかもわからない人達との出会い。とても不思議で とても素晴らしい。きっと この1999年は忘れられない年になるだろう。
人のやさしさ、暖かさ、人の悲しみ、辛さが 言葉を通して伝わってくる。一度も会ったことのない人達なのに心を支え、元気付けてくれる。私の言葉で元気が出たと言ってくれる。人は魂の根っこで繋がっている。人はみな神仏の子として 兄弟である。そんな言葉が実感できた年だった。
自分の出す波長が また同じような波長を出す人を呼び寄せる。日常生活の中では なかなかこうしたことは ストレートにはわかりにくい。そんなことも実感した。これがネットの良さだろうか。
多くの人とであい、多くのことを学び、たくさんの優しさをもらった。私はそれ以上のお返しができただろうか。感謝と幸福に満ちた1年だった。心をつくして 一生懸命に思いをとどけようとすれば 必ず届く。そう信じてきた。でも、時には人生観の違いから 人を傷つけてしまったこともある。決してそんなつもりはなかったけれど、辛い思い、悲しい思い、不愉快な思いをさせてしまった。言葉の難しさ、人の思いに添うことの難しさを教えてもらった。
喜び、悲しみ、希望……。いろいろな思いのつまったページ。
ここで出会えた皆さんに 心から感謝します。本当にありがとうございました。
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| 12.29 |
岩手と千葉を結べたら
私がこのページを作った最初の理由は、テレビ電話販売のためだった。店舗を持たない私が 信頼してもらうためには、確かなバーチャルモールでショップを開くのが一番だと考えたから。
昨年夏、雑誌の記事で これほどまでにテレビ電話が 進化していたことを知って、本当に感動した。児童科学館で初めて テレビ電話の体験をしたのは もう30年ほど前のこと。その時は相手の顔が 静止画像として映るという物。それから 少しコマ送り状態に移るものが出て……。しかし、価格はベラボウで とても家庭での利用は考えられなかった。
ISDNのテレビ電話も知っていたけれど、ISDNにする工事が必要だし、テレビ電話のためだけにそうするのもどうかなぁ。ネットをする人ならともかく、一般の家庭に必要ないよね。と思っていた。だから、どこの家にでもあるテレビと アナログ回線のふつ〜の電話が テレビ電話に変身すると知った時には、最初に、孫の顔を見たいおじいちゃん、おばあちゃんの顔が浮かんだ。これがあったら 遠くてなかなか会えない人達も テレビ電話で顔が見られてうれしいだろうなぁって。テレビ電話が 幸せを運んでくれる魔法の電話に思えた。
昨日問い合わせをしてくださった人は、ご自分が千葉県で、ご両親は岩手県とか。 もしご両親が気に入られれば 買ってもらえるとのことで まずは使い勝手を確めてみたいとのお話。そのお気持ちが とても良くわかるので、会社で使用している商品をお貸しすることにした。
どうか 顔の見えるコミュニケーションの素晴らしさを実感してくれますように。
遠く離れた親子の コミュニケーションの為にお役に立てますように。 |
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| 12.28 |
「ありがとう」は元気の素
小さな子どもがお手伝いをしてくれた時、「ありがとうね、助かったよ」と言うと、なんとも言えない うれしそうな顔をします。お菓子を貰わなくても、おこづかいを貰わなくても、心からのありがとうが 何にも増してうれしいのですね。それは 誰かから教えられたからではなく、人の心の中に 誰かの役に立つ、誰かに喜んでもらえるとうれしいと感じる心が 生まれた時からあるからではないかなと思います。みんなが 心からの「ありがとう」をお互いに言い合えたなら、いつも元気で 張りきって生活できるのではないかしら。
さてさて、それでは あなたは今日何人の人に、「心からのありがとう」を伝えましたか?ご主人に奥さんに、子どもに、友人に……。今日接した人達に そうした言葉をかけられたでしょうか。
ご主人は家族のありがとうに支えられて、会社で少々嫌な事があっても 「もう、やめた!」と言うことなく お仕事に出かけてくれるのですね。確かに自分の為にということもあるでしょうけれど、それだけならば やめてしまいたいと思うときはいくらでもあるはずです。奥さんや 子ども達からの「ありがとう」は 働くお父さんにとって何よりの元気の素だということを どうか忘れないでくださいね。
あなたが「ありがとう」を言われるとうれしいように、誰もが「ありがとう」が大好きです。
貴方の「ありがとう」の一言で、多くの人を幸せにしてあげてくださいね。 |
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| 12.27 |
愛と我欲
優しくしたい、役に立ちたいという愛の思いは、さらりと行動に移して、後は忘れるのが一番だと思います。「自分は あの人のために こんなにたくさんのことをしてあげたのに……。」と 怒ったり、愚痴を言う人に出会うことがありますが、本当に 愛の思いからしたのであれば 疲れたり、腹が立ったりということは決してないと思います。むしろ、エネルギーがわき、幸福感が溢れてきて、益々穏やかで優しい気持ちになるのではないでしょうか。
家族や、友人・知人の為に 一生懸命尽くしているのに、感謝をされるどころか、関係がぎくしゃくする。自分の思いがとても苦しい。そんな経験はありませんか?「私がこんなに皆のことを心配しているのに、誰もわかってくれない……。」そうした思いでいると、心は ささいなことにも敏感に反応して 大きく波立ちますし、幸せだという思いは なかなか持てなくなります。そんな時は、相手のためと言いながら 実は自分の思い(我欲)をおしつけているのではないか、相手を自分の思いどおりにしたいと思っているのではないかと、自分の思いを 見つめてみると良いかもしれません。自分が為した行為に執着しないことも また大切かと思います。
・お礼を言ってもらえなくても 気になりませんか?
・相手が自分のアドバイスと違う道を選んでもかまいませんか?
・自分の好意が受け入れられなくても 相手が幸せであればそれで良いと思えますか?
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| 12.26 |
心のコントロール 12.27記
私達は 毎日の生活の中で 様々なことを思います。誰かの言葉や行為によって 嬉しくなったり悲しくなったり、腹が立ったり……。誰かに優しくしたいという思いが出てくるときもあれば、人の幸せが眩しくて、つい辛くなることがあるかもしれません。私たちの心は 善きことも 悪しきことも、どんな事を思うのも自由です。でも、その自由がある故に その心の使い方を間違うと、それが 自分を苦しめる「不幸」という形で現れてくるということを 知ってほしいと思います。
私が思う「幸せのかたち」のひとつに、「心が大きく揺れず、安定していて どんなことがあっても 自分の心が保てる。自分の思い、心がコントロールできる」ということがあります。人の言動によって 自分の心が 悪しき方にぶれないというのは とても幸せなことです。同じ言葉を聞いても、人によってその受け止め方は 実に様々。どんな言葉であっても「自分を傷つける為にそうしたことを言った」と思うのと、「自分に何かを教えるために そうした言葉が発せられた。そのような言葉を言わせたのは自分にも原因がある」そう思えるのとでは どちらが幸せだと思いますか?
誰に何を言われようが、それで傷つくか、何かをつかんでより自分の心を鍛えるか……。すべては私達の心次第です。そして その時にどちらの選択をしていくかで、私達の運命がまた変わっていくということを 実感してほしいなぁと思います。「そんなこと言われても、やっぱり言われたら嫌だよ〜」と思った貴方に もうひとつ。他人の言動も含めて、自分に起きてくる様々なことのすべてを、自分を磨く砥石だと思って、心揺らすことなく受け入れるぞ!と決意したなら 何故かそうしたことを言う人は 貴方のまわりから消えていなくなります。これは私が実証済み(^-^)v!
「心の運転手は貴方」どうか上手に運転してくださいね。 |
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| 12.25 |
自分の将来 12.27記
10年、20年、30年後といった自分の将来の姿を思い描く機会というのは 日常においてはなかなかありません。自分は何をする為に、この世に生を受けたのか。どんな人生を送り、どのようにこの世を去りたいか……。「人の運命なんて どうせ決まっているのだから、考えるだけ無駄」「そんな先のことよりも、今目の前の現実の問題をどうするかの方が大切」そう思われる人もいらっしゃるかもしれません。しかし男性か女性か、どんな環境に生まれてくるかといった「宿命」とは違い、「運命」とは 命を運ぶと書きます。そして、運ぶのは私達自身。「運命」とは、私達の心の力、思いの力によって、変えることができるもの。まずそのことを信じてくださいね。
自分が一番、幸せを感じる時とはどんな時か……。きっとそのことが、私達が生まれてくる前に予定してきた「人生計画」の中で大きなウェイトを占めていることなのではないかなと思います。
今とは全く違った生活でもいい。自分がこんな生活をしたい!ということが思い浮かんだなら、次は それを実現するために あと10年後、数年後にはどうなっていたいか、どうあるのが理想かということを考えてみます。若い人であれば そうしたことを10年ごとくらいに考えてみるのもいいですよね。私の場合で言えば、自分の50代を思い描くということかしら。今とは また違った生活をしている自分が思い浮かびます。そして、次には、じゃあ今の課題は何か。自分が今しなくてはならないのは何かを考えてみます。すると、長いビジョンの中で 今の現実的な問題を どうしていくのが一番良いかということが なくとなく見えてくる気がします。
「皆の心からの笑顔に囲まれた自分の将来を思い描き、その実現の為に努力し続ける時、その夢や理想が どんなに現在とかけ離れていようとも 必ず実現する。」そう信じて生きていけることはとても幸せで、それが自分の人生に勝利するということかもしれませんね。 |
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| 12.24 |
クリスマス
今日はクリスマスイブ。街中にメリークリスマス!の文字が踊る。教会では、どのようにしてイエス様の誕生日をお祝いするのだろう。小学生の頃、近くの公園で イエスさまの一生を描いた紙芝居を見た時から、私はイエス様が大好きだ。しかし、教会でお話を聞いたことはない。「皆に幸せになってほしくて、神様の教えを説いたのに、何故イエス様は 十字架にかけられたのか。なぜ、最後にあのような言葉を残されたのか。人間は生まれながらにして 罪を背負った罪の子なのか……。」いろいろな疑問を持ちながら、聖書を読み、イエスさまのことが書かれた本を いくら読んでも、そこに私の求める答えはなかった。
とても好きな本の著者がクリスチャンだったことがよくある。辛く悲しい人生を歩んでいた人が 信仰によって救われたと語る時、その人を支えたのがクリスチャンだったという話も とても多い。イエス様の愛の教えに生きる人達は 限りなく優しい。若い頃、私は その優しさにひかれながらも、自分の中にそうした純粋な愛の思いが欠如している現実をつきつけられるようで、少し苦しかった。圧倒的な優しさ、絶対的な愛を説かれるイエス様の教えに 素直に従うことができなかった。今、イエス様がおっしゃったことが 少しだけわかるようになった。
イエス様が教えを説かれた2000年前、その教えが、本物の、神から流れ出でた教えだと気づいた人は少なかった。多くの人がイエス様を迫害し、十字架を背負わせた。本来神の子として生まれながら、人とはなんと愚かしいことをしてしまう存在なのか。私はイエスさまに石を投げたりしなかったろうか。お水の一杯も差し上げただろうか。イエス様の映画やお芝居を見ては、涙あふれる時、私はそれを思う。もし、幸せにも イエス様や、お釈迦様が教えを説かれたような そんな時代に生まれることができたなら、私は必ずその教えに気づき、教えが説かれている光ある時を生きたい。そんなことを思うクリスマス。
わずか、3年の伝道しかできなかったにもかかわらず 2000年後の人の心をも救い、世界中で誕生日をお祝いしてもらえるイエス様。クリスチャンではないけれど 大のファンがここにもいます。
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| 12.23 |
タイトルはとらせるもの?
今年のスポーツ界のハイライトを集めたNHKのスポーツ’99を見ました。プロ野球終盤戦、巨人の松井選手とヤクルトのペタジーニ選手が ホームラン王競争を繰り広げる中での、上原とペタジーニの対決。巨人のトップの方針なのか、長島監督のサインは敬遠。松井にタイトルをとらせたい。もし、ペタジーニがホームランを打てばそれは夢のタイトルとなる……。渾身の力で敬遠ボールを投げ、土を蹴り、くやし涙をぬぐった上原の顔に心が痛んだ。プロ野球の世界、いろいろな事情があるのはわかる。上原が勝負をしたくとも 監督に逆らえないのもよくわかる。ただ、私はグランドの中での最高責任者である長島さんに 少しガッカリした。ガッカリというよりも、選手は果たして この人の為に頑張ろうと思えるだろうかと思った。野球には素人の私の意見。見当はずれだといわれる人もあるかもしれない。
もし、上原が打たれて、松井がタイトルをとれなかったとしたら、それが本当にそれほどマイナスなのだろうか。打たれたとしても、それはそれ。その経験は上原を大きく成長させるだろうし、なによりも そうして勝負を逃げた結果のホームラン王のタイトルを 松井は喜ぶのだろうか。今年タイトルがとれなかったとしても、来年それ以上に打てばいいではないか。タイトルというのは それぞれの選手が全力を尽くし、その結果とれるから価値があるのだと思う。せっかくとったタイトルに心から喜べない松井がいる気がする。勝負さえしてもらえなくて、タイトル取得のチャンスをつぶされたペタジーニがいる。そしてなにより、自分を信頼してもらえていなかったと心に傷をうけた上原がいる。長島監督は 3人の選手の心を傷つけた。私にはそう思えた。自分の責任において、選手をのびのびと活躍させる……。そんな監督であってほしいと心から願う。
とらせてもらった「タイトル」はむなしい。 |
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| 12.22 |
希望の光は愛の灯
小学校の校庭で、小2の男の子が若い男性に刺殺されるという信じられないような悲しい事件がありました。突然我が子を亡くされたご両親や、ご家族のことを思うと、本当に胸が痛くなる思いがします。これが自分の子供だったら……。そう思っておられる人がたくさんいることでしょう。小2の子に罪があったはずはない。そのご両親が恨まれていたわけでもない。一体何故?
私は ここに闇の力を感じます。人の幸せを願って一生懸命生きている人を応援する天使がいるのと同時に、人を恨んで生きている人が大好きな闇の者もいます。人を騙し、人を傷つける人、あたりかまわず怒りの心を爆発させる人、そうした様々な悪想念をエネルギーとしている闇の者がいることを知ってほしいと思います。そうした人が増えれば増えるほど、闇の力は強くなり、信じられないような事件が起きてくるのです。目に見えない世界では、光と闇の戦いが 繰り広げられています。この世の中に絶望し、悪くなるばかりだと思うその気持ちが また闇の力を強めていることをどうか知ってください。私達は決して闇に負けてはなりません。希望の光を掲げ、私達自身の手で この世の中を光と愛が満ちる世界にしていきたいと思います。希望の光は「愛の思い」です。闇のものは「愛」が嫌いです。愛ある人に 闇の者は近づくことはできません。あなた自身の心の中にある 優しい思い、愛の思いを どうかもっともっと高く掲げ あなたのまわりから、愛を、光を広げてください。そうすれば必ず、こうした理由なき悲しい事件は少なくなります。輝く未来を作るのは、他の誰かではなく 貴方自身だということを、貴方自身の心だということに気づいてくださいね。 |
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| 12.21 |
こだわりを捨てる練習(^-^)v!
「こだわる」という言葉は 良くも悪くも使われる言葉だなぁと思う。「こだわりがある」と言うと、いい加減じゃないというか ポリシーがあるぞ!という感じがして、ちょっといい感じ。でも、このこだわりも 過ぎると「執着」になって 様々な弊害が出てくる。人との関係も含めて、「こうあらねばならない」とこだわり過ぎると、自分も苦しくなるし、まわりの人にとっても うれしくないかな。
お釈迦様は「執着を去れ」ということを よくおっしゃったわけですが、これは 本当に大切なことだなぁと思います。人間、あきらめないで頑張るということも 大切ですが、全力を尽くしても、どうしてもダメな時には、気持ちを切り替えて、あっさりとあきらめることが必要なこともあります。
義母の死を体験して、それをつくづく感じました。誰にでも訪れる「死」ですが、それは多くの場合、突然やってきます。そして 一部の霊的に目覚めた人を除いて、たいていは自分の思いが届かない中、残された者によって お葬式が行われるわけです。想像してみてください。自分が死んで肉体を離れ、魂として 自分のお通夜や告別式の様子を見ていることを。「あぁ、もっとこうしてほしい。そんなことはしないで……。」と きっと いろいろな言い分があると思うんですよね。何よりも「もっと生きたかった、まだ遣り残したことがある」という思いもあるでしょうし。それでも、それはどうしようもないこと。あっさりと 導きの霊の言うことを聞いて本来の世界に還るしかない。そこでジタバタするのを 往生際が悪いって言うのかな?突然自分の人生が終わったとしても、「えぃっ」とこの世に見切りをつけられる潔さ!それを身につけるためにも あまりこだわらない あっさりとした性格になれるよう、こだわりを捨てる練習もしておいた方がいいのかな? |
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| 12.20 |
22歳のHappy Birthday!!
今日は息子の誕生日。反抗期は人並み以上、たっくさん心配をさせ、涙も流させてくれた息子だけれど、ここまで大きなケガや病気もなく、無事育ってくれたことに心から感謝したい。私は20歳の終わりに彼の母親になった。しっかりしているつもりでも、今思えば 若くて頼りない母親だったろうと思う。子供にとっても災難だったかもしれない。中学・高校、そして高校卒業後の2〜3年。まともに会話はできないし、心は見えなくなるし、何を考えて、何をしているのか さっぱりわからなくて、不安になることもあった。いつか自分のやりたいことを見つけて、前向きに頑張ってくれる日が来るって信じながらも、「本当にこのままでいいのかなぁ」って、つい口出ししたくなることもあった。
高校卒業後は、それまでの鬱憤を晴らすかのように、七色変化の髪の色、パーマをかけたり、耳には大きなピアス(お〜い、あんたは男だよ!)。2つのアルバイトを経験した後、おやじの会社で働けば、仕事がきついの、休みがないのと 文句タラタラ。過分な給料(親の好意だぞ〜)も もらって当たり前。「やっぱりこの仕事嫌だ!」と会社を辞めた後は、3ケ月のプー生活。こ〜んな息子を信じて じっと見守るって なかなかしんどいことだ。でも、本人のやりたいようにさせて良かったなァって思ってる。今の仕事は、出来高精算。前日にならないと仕事は ハッキリ決まらないし、休みも前日に決定。2週間休みナシなんてこともあるし、終了時間はお昼だったり、夕方だったり。最初からこの仕事についていたなら きっとすぐに辞めてるだろうなァ。私達親からみれば 結構しんどそうなのに、彼は淡々と それなりに自分の生活設計を作りつつある。きっと彼なりにいろいろと考えていたんだろうな。親にできることは、一人で生きていける力をつけてやること。そして本人を どこまでも信じることだと思う。真、お誕生日おめでとう。もう、親としての務めは果たしたからね。 |
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| 12.19 |
優しい思い、愛の思いが満ちる世界に……
義母の入院から告別式までの間、甥や姪達とたくさん話をした。とても優しく、心豊かな子供達。自分達を育ててくれたおばあちゃんの 突然の入院に気持ちが動転し、不安な思いを抱えながら、毎日病院に通って 呼びかけていた「。いつかくるとは思っていたけれど、まさかこんなに早くだなんて……。」みんな 心の中の思いとは裏腹に、まるで反抗期の子供のように おばあちゃんには言いたい放題、優しい言葉をかけることが照れくさかった子供達だ。そのことに対する後悔が 痛いほど私の胸にも響いてきた。彼らは今回のことで、とても多くのことを学んだと思う。
優しい思い、愛の思いはどんなことにも耐えられる勇気や元気を与えてくれる。自分がとても辛かった時に、誰かの優しい言葉で心癒され、立ちあがる元気が出てきた経験をした人は多いのではないかしら。私が知るネットの世界は そうした優しさや愛の思いが溢れていて、私は多くの元気をもらった。だから それ以上の愛をお返ししていかなければと思っている。ネットの世界のように みんなが、自分の心の中の愛を どんどん具体的な行為として出していけば 世の中どれだけ明るく素敵な世界になるだろう。
愛は与えることによって 決して枯れたりはしない。ますます愛が広く、深く豊かになって 愛を与えた人自身が一番幸せになる。心の中にあるたくさんの愛を、どうか素直に、行為として出してほしい。優しい笑顔、優しい言葉……。愛の数だけ 行為があり、その行為は多くの人を幸せにする。その人達がまた愛を与え、愛が循環していくと思う。
みんなの優しい思い、愛が満ちる世界が少しずつ広がるといいなぁと、心から願う。 |
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| 12.18 |
最後のお別れ 12.19記
今日は告別式。昨日が「友引」だったために 私達はまた一日義母と過ごせる日がいただけた。本当に最後の最後まで私達残された者のことを気遣ってくれるかのような義母だった。奇麗な顔で横たわる義母。思い出すのは、2〜3年に一度の割合で、あちこちに旅行をしたことや、昨年の年末に 焼津お買い物ツアーに行ったこと。母の日や誕生日、敬老の日や娘が帰ってきた時などに 食事に行ったことなど楽しいことばかり。肉体がなくなって 自由にみんなのところに行けることに気づいたら、義母は うれしくて あちこち出かけていくんだろうなぁと思ったり……。義母の写真を見つめながら いろいろなことを思い浮かべて、告別式を終えた。
義母が ゆっくりと時間をかけて 安らかに旅立ってくれたことで、私達も覚悟ができ、信じられないほど穏やかな気持ちで 義母を見送ることが出来た。お葬式や黒い服が大嫌いな我家の長男も 神妙な顔をして 真新しい礼服で参列した。息子にとっても娘にとっても初めてのお葬式。二人は何を感じただろう。生きること、人生の幕を引くこと。残されたものの務め……。あっという間の3週間。とても貴重で、そして 今思えば幸せな日々。それも今日ですべて終わった。
お母さん、これからは天国から私達を見守ってくださいね。本当に長い間 お疲れ様でした。
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| 12.17 |
長男の嫁 12.19記
夫には 兄と姉がいる。私が二人姉妹の長女ということもあって、夫には 私の両親と養子縁組をしてもらった。つまり次男の嫁ではあるけれど、嫁と呼ばれる立場なのかどうか……。どちらにしても 夫の親族の中で 私の立場は とても気楽なものだということを 改めて感じた。
義母が入院した当初から 兄嫁の精神的負担を少しでも 減らしてあげることができればとは思っていた。出きる限りの手伝いをするつもりはあったし、時間的にも金銭的にも 同じ子供として、負担するつもりだった。残念ながら義母は 帰らぬ人となってしまい、今度は最後の儀式に向けての大きな責任が、兄夫婦にかかっていった。喪主の妻の責任も大きい。なにぶんにも不慣れなことだし、わからないことだらけ。それでも決定しなくてはならないことがたくさんあって、その苦労と、精神的プレッシャーはかなりのものだと思う。決定権もなにもない私としては とにかく兄達の決定に従い、自分にできる手伝いをすることしかない。長男の嫁というのは 本当に大変なんだなぁと思った。こんな時、その大変さをみんながわかっていて、「大変だね、ありがとう」と声をかけてあげるだけで どんなに本人の気持ちが楽になるだろう。何もしないのに、なんだかんだと無責任な要求ばかりをすることだけは しないでほしいなぁと思った。「お姉ちゃんと、長男の嫁にだけはなりたくないねぇ」と話したという姪の言葉が 義姉の大変さを物語っている。
長男のお嫁さん、いろいろなことがあると思うけれど、どんな時も 自分にできることを自分なりにすれば十分だと思う。あまり無理をしないでね。そして、そうでない人は、長男のお嫁さんの大変さをわかってあげてくださいね。
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| 12.16 |
思いの表し方は人それぞれ 12.19記
義母の入院、旅立ちによって、普段あまり親しく話をする機会のない親戚の人達と共にすごした3週間。人の思いは 本当にいろいろで、その思いの表し方も それぞれ違うこと。当たり前のことなのに 改めて実感した。入院した義母に毎日会いたい人、回復の兆しが見られなくなってからは、会うことがつらくて、一人自宅で祈る人。同じように愛が心にあっても 行動は違う。そういえば 作家の佐藤愛子さんだったか……。大好きなお母さんが亡くなられた時に、どうしてもお葬式に出たくなくて、旅に出たと何かに書かれていたっけ。旅先で一人母親をしのび、時を過ごしたと……。それを とやかく言う人がいるかもしれない。でも私は、自分の思いを正直に行動にうつすことができた佐藤さんは 幸せだったろうなぁと思う。そして、人が何を言おうが お葬式に出なかったことを後悔されることはないだろうと思った。私は毎日会って話がしたかった。みんなと一緒に 義母を見送りたいと思う。どうしてもしなくてはならない仕事をする時間を一日与えてくれたことがとてもありがたい。明日がお通夜。そして明後日はいよいよ最後の別れとなる。病院にいたときと違って、義母が横たわる部屋にいなくても 思えばいつでも義母がそばにきてくれる……。そんな気がする。あぁ、お母さん、今頃は我家のあまりの散らかり様に きっとあきれてるんだろうなぁ。(^_^;) |
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| 12.15 |
義母の旅立ち 12.19記
午前9時。いつものように夫と二人病院に向かう。通いなれた道。途中姪からの電話。「おばあちゃんの容体が変わったって、病院から電話があった」心拍数44、血圧は動脈測定で21。もう腕では測れない。呼吸数だけが規則的に10を示し、胸が上下する。静かな集中治療室に義母と夫と3人。いろいろな思いが胸をよぎり、見ると夫の目からは涙がこぼれていた。覚悟していたこととはいえ、今日がその旅立ちの日になるかもしれないという予感と、奇蹟的に回復するかもしれないという希望が交錯する。看護婦さんが「幸せな人生を送られた方なんでしょうね」と 声をかけてくれる。まもなく、兄や甥、姪達、義母の弟や、妹夫婦が到着した。今日は兄達のお店の定休日。「最後までみんなに迷惑をかけないように気を遣ってるんだなぁ。お母さんらしい」他の人の面会時間を避けて、交代で義母の側にいる。心拍数が0になり、波形がなくなった後、人工呼吸器がはずされた。午後8時49分。3週間も何も食べていないのに、肌はつやつやしてとても奇麗。両親を早くに亡くし、夫には20年前に先立たれ、最後まで子供達や、孫達のことを心配していた愛深き義母は、まるで眠っているかのように、静かに安らかに、皆に見守られて旅立ちました。享年77歳。
一度も苦しい顔を見せなかった。毎日私達が通いやすい病院で、一人みんなを待っていてくれた。私達に感謝を述べる時間、覚悟をする時間を与えてくれた。19歳から27歳の 人生これからの6人の孫達や、自分の人生を振りかえる時期にきている子供達に 人にとって一番大切なことを身をもって教えてくれた。まだまだ し足りないことはあったと思うけれど、素敵で 見事な旅立ちだったと思う。お母さん、もし来世またご縁があったなら、今度は もっと、いろいろと教えてくださいね。
ありがとうございました。 |
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| 12.14 |
泣きたい時には泣けばいい
私は気が強いし、心臓も強いらしいし、度胸もあるらしいけれど、かなり涙腺が弱い。どこからか すぐに 涙がこみあげてくる。優しい気持ちに触れたとき、頑張っている人を見たとき、自分の無力さを感じた時、悲しみや苦しみの中にある人に対して、何も出来ない時、etc……。本を読んでは泣き、テレビを見ては泣き、手紙を読んで泣き、人と話して泣き……。今回の義母のことでも、泣くまいと思いながら、随分と涙をこぼして、息子にも「しめっぽいなぁ」と叱られた。
男の人って 泣いちゃあいけないって思ってるんだろうか。一生懸命 我慢しているから、すぐに涙を流す人には 厳しいことを言うのだろうか。義兄も夫も甥も息子も、叔父さんたちも……。男の人達は誰一人として 涙をみせない。みんな心の中に涙をしまって、懸命にこらえてる。男の人って こうしていろいろなことをこらえているのかなぁと思った。考えてみたら、夫や息子が泣いたところを ほとんど見たことがない。誰が「男は泣いちゃいけない」なんて言ったんだろう。私自身 息子にそんなことを教えたつもりは まったくないのに、彼は小さい時から ほとんど涙を見せなかった。外で何かあっても 家に帰るまでに どこかで涙をかわかしてきたのだろうか。でも、何故なんだろう。男だって、女だって同じ人間なんだもの。泣きたいときには泣けばいいじゃない。そう思うのは私だけなんだろうか。 |
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| 12.13 |
脳死は人の死じゃないよ 12.14記
11月26日、午後8時。「なんだか、足元がふわふわして、おかしな感じ。気持ちが悪い」と、長男が経営するお店に電話をしてくれた 一人暮しの義母は、すぐにかけつけた義兄達によって8時半には救急センターに運ばれました。動脈瘤破裂。とても危険な状態だといわれた一夜を無事乗り越え、翌日には5時間にわたる開頭手術。その翌日から、両手・両足の感覚が戻り、少しだけ話ができ、4日目には目も開いて、視神経に異常がないことも確認。皆退院の日を心待ちにし、どうやってリハビリをしようと考えていた矢先、急に血圧が低下、その後 意識が遠のき、再検査の結果 脳梗塞を起こしてしまったことがわかりました。そして、その日を境に 容体は 悪化しはじめ、とうとう人工呼吸器がとりつけられ、血圧を薬で保ち、点滴だけの毎日。手足の反応はまったくなくなり、瞳孔は対光反射もみられず開いたまま。自発呼吸も全くできなくなりました。もし、義母がドナーカードを持っていたとしたら、この時点で「脳死判定」が行われ、認定されれば呼吸器がはずされるのでしょうか。そんなこと できるはずありません。だって、義母は 反応はなくても 私達がいくと ちゃあんとわかるんですから。
義母の手をとり、いろいろと語りかけると 血圧が必ず上昇します。看護婦さんは、「ちゃんと聞こえてますから、話しかけてあげてくださいね」とおっしゃいますが、本当にその通りだと思いました。昨日、娘と二人治療室に入った時の血圧は77。しばらく話をしていたら83に上がり「良かったね。やっぱりわかってくれてるよ。」それから二人でお経をあげたら 103になって ず〜っとそのまま安定。1時間ほどして「おばあちゃん、また来るね」と帰ろうとしたらスイッチが入って血圧測定。見てみると95。この状態を「死」と認めるなんて 絶対に変だと思います。義母はまだ生きています。 |
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| 12.12 |
素直になれた時
「素直な心が何よりも大切ですよ」と松下幸之助さんは よくおっしゃっていました。私は 小さい頃から、なかなか素直になれない子で、みんなに可愛がられている小さな妹に ちょっぴり焼きもちを焼いているのに、良いお姉ちゃんをしてみたり……。長女だったせいか、しっかりしなくてはという責任感が強く、その責任を果たすために、人には結構厳しくて、「威張ってる」と言われたこともあります。そのくせ、自分のミスや 欠点を指摘されると 素直に謝ることができないで、いい訳をしたり 強がりを言ったり、責任転嫁もしていたかもしれません。まぁ、思い出しても 嫌な子だったと思います。そして 自分自身 それがとても嫌で、高校時代には いつもPHPという小雑誌を読んでは、素直になれたなら どんなにいいかなぁと思っていました。その後 私達はみな 神仏の子であり すべての人は 神仏と同じ素晴らしいものをもっていること。反省をして 毎日少しずつ神仏に向かって修行していくのが 私たちの生きる道だということを知りました。成長途中なら、失敗も欠点もあって当たり前。それに気づいた時に、それまで他の人に対して 弱みを見せまいとつっぱっていた何かが消えたような気がしました。そして、素直な自分を少しずつ出せるようになって 気持ちは軽くなり 毎日がとても幸せな思いで過ごせるようになりました。こうして、心を開いて、自分を素直に出すことができれば どんな人とでも なんとか付き合っていけるという自信も少しずつ出てきました。素直な心は また素直な心を呼んでくれます。今、私には 「心素直な素晴らしい友人」がたくさんいます。そして、そうした人達との交流は本当にうれしいことです。自己嫌悪していたからこそ、今の自分があるのかもしれないなと ふと思いました。素直 万歳!\(~o~)/
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| 12.11 |
自分の思いを自分の言葉で
「自分はうまく話せない」という声を聞きますが、そうした人達は 「うまく」ということにこだわり過ぎているのではないでしょうか。大切なのは 自分の思いを 自分の言葉で話すということだけだと思います。よく「立て板に水の如く」と言われますが、そうした話し方をする人で 心に届く言葉を話してくれる人を私は知りません。トップセールスマンといわれる人達でも 決して饒舌なわけではなく、どちらかというと、とつとつと話す人がとても多いです。実際に会っても「何故この人が?」と驚くこともあります。でも、そうした人は 相手の話をじっくりと聞き、それを心にしっかりと受けとめて、自分の思いを 自分の言葉にして話しているのだと思います。その誠意ある態度が 相手にちゃあんと届いて 仕事をしてくれるのですね。
どんなに素晴らしいことを言っても、それが どこか空々しく、何も心に響いてこないことがありますが、そうした人は、「素晴らしい話をする」という目的の為に話しているのであって、相手を思い、自分の心を伝えようとしていないのかなぁと思います。机の前で考え抜いて作った 一遍の詩よりも、本当に感動したときの一言の方が 心に響くことがありますが、それも そこにその人の心があるからですね。私達は 言葉を使ってコミュニケーションをしますが、そこで伝えるのは やはり心です。心にないことは いくら良い言葉を並べ立てても相手には何も伝わりません。むしろ、自分の誠意のなさを暴露することになるでしょう。常に 自分の思いを、自分の言葉で話しているかということを 振りかえってみたいと思います。 |
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| 12.10 |
なさなかったことに対する反省
反省をしましょうといわれた時に、たいていの場合は、「何か悪いことはしなかっただろうか」ということを考えるのではないでしょうか。しかし、それだけでは 十分とは言えないと思います。悪い事をしなかったかどうかということと、同じ位大切なのは、悪いことを思わなかったかという 思いの反省です。「思うだけならイイじゃないか」という論理は真実の世界では通用しません。何故なら人は心がすべて。その思いこそが自分自身を現すからです。
そして、もうひとつの反省は、「良いことを思ったか。その良き思いを愛の行為として実践したか」ということです。何かの原因で 急にこの世を去ることになったとして、自分は後悔しないだろうか。ということを考えてみると、もっともっと 人に優しくできたのにしなかったとか、一生懸命仕事ができたはずなのに、全力をつくさなかったとか……きっと、「あぁ、しまった!」と思うようなことが たくさんあるような気がします。自分にできることを少しずつ実践していく、与えられた以上の愛を お返ししていくということを 忘れないで 毎日を過ごしていきたいと思います。
大切な人が、突然この世を去ってしまった時に、もっと優しい言葉をかけるのだった。もっと感謝の思いを伝えておくのだったと後悔するのは 本当に悲しいことです。気づいた時には もう相手はこの世にいないのですから。そのようなことのないように、感謝と愛の思いは すぐに行為を通して、相手に伝えていきたいと思います。 |
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| 12. 9 |
大きな目標を持てることの幸せ
1年365日。変わり映えのない日常の中で、毎日なにかしら新しい発見をし、感動し、学び続けていくことは 目標ではあるけれど、なかなか難しい。日常の様々な問題や、仕事上のトラブル、家族や、自分自身のこと……。悩みとまではいかなくても、なにかしら大変なことはある。しかし、大きな夢や目標があれば どんなことも、それが自分の目標達成の為に どう生かせるかと考えたり、どんな情報を集め、自分がどんな努力をすれば良いのかが わかるだけでも楽しい。
漠然としたものでもいい。いつかこうしたことがしたい・こうなりたいという夢を持ち続けることは 楽しく生きていくための秘訣だと思う。おもしろいもので、自分がしたいことが 具体的になってくればくるほど、いろいろな協力者が現れてくる。情報や、人が集まって来たり、突然思いもかけないチャンスがやってきたりする。そうして 少しずつ夢の実現に向かっていけると とても楽しいし、日常のささいなことで 腹を立てたり、思い悩むことも少なくなる。何故かって?人間の頭は一度に2つのことは 考えられないようにできているらしい。だから 大きな目標に向かって 一生懸命生きていると、それ以外のことは あまり悩みの種にはならないみたい。
私の一生をかけての目標は、この地上が ユートピアになるためのお手伝いをし続けることかな?皆が 毎日幸せを実感できるような そんな世界になることを心から願いながら……。
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| 12. 8 |
腹を立てたり、悲しむ前に……
私達はつい、相手のことがよくわからないと、自分のものさしで相手の行動を測ろうとします。ある程度仕方のないことだと思いますが、それがトラブルの元じゃないかなぁと思うこともよくあります。
たとえば、人が見ていないとサボル人は、他の人も同じだと思い、それらしきことがあると、頭ごなしに怒ります。「人を見たら泥棒と思え」という悲しい言葉も 盗みを考えたこともない人は、そんな馬鹿なと思うでしょうし、スキあらば盗みをと思っている人は、そうだよねぇと思うでしょう。これほど人によって 考えは違うのです。
相手からしばらく音信がないという事実ひとつをとっても、気に入らないと無言を通すことで抗議を表す人は、自分に対する抗議であるとか、自分が嫌われたと思いがちですし、とても忙しくて 電話をかけたい、メールが書きたいと思っていても それがなかなかできない日常を送っている人は、相手も忙しいのかなァと思うでしょうね。そうしたことを ひとつひとつ「何故ですか?」と尋ね、解決していければ問題はないのでしょうが、それもできず、自分なりの解釈をし、そこに誤解があったりすると、それがトラブルに発展することがあります。「あれ?なんで?」と思うことほど 「正しく見る」ということが大切だなぁと思います。違った人生を経験し、違った考え方・思いを持った人達が一緒にいるわけですから、相手のことが何でもわかると思うことのほうが不思議です。人間関係において、自分にとって好ましくない状態になった時には、まず、自分に原因がなかったかどうかを振り返ることは良いと思いますが、それで思い当たらなければ、相手なりの事情があるのかもしれないと、さらりと考えることも大切だと思います。自分なりの見当違いの判断で、腹を立てたり、悲しんだり、相手や自分を責めたりすることはしないように気をつけようと思います。 |
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| 12. 7 |
すべての人はダイヤの原石
今までにも何度も書いたことですが、私達人間は みな磨けば光るダイヤモンドの原石です。その心の中には 素晴らしい愛と、無限の力を秘めています。ただ、そのことを知らない人が本当に多いなぁと思います。「人間はほおっておくと悪くなる」と平気で言う人もいますし、世の中で輝かしく成功している人はダイヤモンドかもしれないけれど、自分は道端に転がる石ころのような存在だと思っている人もいるようです。でも、それは間違いです。成功している人達は 自分がダイヤの原石であることを知り、その磨き方を学び、懸命に自分自身を磨いてきた結果、輝いているのです。ですから 私達も、与えられた環境の中で、自分を磨く努力をし続ければ 大きさに違いはあっても、必ず美しいダイヤモンドとして輝くことができます。またそうして自分を輝かせることが 私たちの人生の目的のひとつでもあると思います。
すべての人は 皆 ダイヤモンドの原石だということを 信じるのではなく、知ってください。あなた自身はもちろん、ご主人や奥さん、子供、あなたの周りにいる友人・知人、見知らぬ人……。たとえ今は光っていなくても、み〜んな磨けば光るダイヤモンドの原石です。自分に起きてくる 様々な出来事は、自分を磨いてくれる砥石だと思って、「何故、私にこんな不幸が?」と思うのではなく、そこから何かを学ぶつもりで まず受け入れてみてください。それから、子どもをおもちのお父さん、お母さん、人を指導し、育てる立場にある先生や、リーダーといった方々は、まず「あなたはダイヤモンドの原石だよ」ということを教えてあげてください。そして、その人達を輝かせるために いかに指導すればいいかということを考え、愛の心をもって育ててあげてください。間違っても、ダメな人間・悪い人間だなんて思わないでくださいね。 |
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